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2010年02月21日

◆医療の現在 生きる力 20

医師の頭に“サルトジェネーシス(Salutogenesis)”という言葉が浮かんできました。
最近、知った言葉です。“健康生成論”と訳されているそうです。
対義語に“病因論”があるとのことでした。
病気を引き起こす原因に焦点を合わせる(病因論)のか、病気を修復しようとする力に焦点を合わせるのか(サルトジェネーシス)。

病因を自然科学的に解明する、現代医学の日進月歩。
0.1ミクロン前後という、肉眼では、とても見えないインフルエンザウィルスの生物学的特徴を解明し、ウイルスの増殖に必要なノイラミニダーゼという酵素を阻害する薬(タミフル)を、合成するまでに 進歩した現代医学・医療。
専門家以外には、よく分からない世界です。とにかく専門家に頼らないという不安が起こります。
例えば、インフルエンザに罹患して、タミフルを飲まないと、まったく展望はないというような思い込み。

また、一転して、代替・補完・伝統医療への傾斜。
例えば、ホメオパチー(類似療法)への傾斜。
インフルエンザには、ゲルセミウム(イエロージャスミン)というレメディでと言った。

もしくは、外から介入されることへの 反発。“自然治癒力”への傾斜

結局、所属した陣営の旗印を掲げて、相手陣営の非を論う応酬。
治る力を励起する引き金は なんなのだろう。

多忙な外来で疲れていた自分(医師)、気力が低下していた野村さん、老人ホームの看護師 3人が診察室にいて、こうして“場”が形勢され、そこでの遣り取りがあり、生きる力が励起した野村さん、多忙な外来の疲れが緩和した医師、専門職としての存在意義を再認した看護師。 

「多分 引き金は 様々なのだな。多分その時々で変化する。偶然と出会いを大切にして、一瞬の機会を旨く捉えて、そのためには、1回、1回の診療を丁寧に遂行し、防衛的にならず、・・・ウンウン・・」
次第に生きる力が湧いてきた医師でした。 (終)
  


Posted by 杉謙一 at 10:00Comments(0)レッスン

2010年02月16日

◆医療の現在 生きていく力 19

確かな“変化”と思われました。
診察室を出る時の歩行も、入室時に較べて、しっかりしていました。
「先生と 話して、元気が出たね 野村さん」という看護師の言葉も “変化”を側面から確認しているようです。
野村さんの後に続く、矢継ぎ早の外来診療を 乗り切り暫し、外来が途切れた時、医師の意識にふと 野村さんの“変化”のことが浮上しました。
引っ掛かりは、無意識の中で、居心地悪く 浮上を待っていたようでした。
『なんなのだろう あの 変化は』という 引っ掛かりです。
そう言えば、今回ほど くっきりしてなくても、こうした“変化”は、医療の場での人間関係で、時々あるように思われました。
【治った もしくは 直った】 医療の場での目標です。
薬で、処置で、手術で、生活習慣の改善で、【治った もしくは 直った】
さっき目撃した“変化”と【治った もしくは 直った】はどう違うのだろう。
外来で疲れた医師の心身に活気が出てきました。
自分にとって、興味あるテーマで、自分が元気になっていくという変化。
些細なことだけど 自分に野村さんと同じことが生じているのか

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:17Comments(0)レッスン

2010年02月15日

◆医療の現在 生きていく力 18

医師:「血圧は上が144 下が58, 脈が1分間に70回で 乱れてないし、と。」
医師は、身体所見を 大きめの声で、野村さんに 報告しながら、表情を伺います。
自分の身体データに、いつものように関心を寄せない野村さん。
生きていく力の 衰弱を示しているようでもあります。

具体的な、病的徴候 例えば、発熱、息苦しさ、身体痛などは、まず否定できそうです。
普段、老人ホームで、ケア している 看護師が具体的病的変化を察知していないのも、医師にとって、側面からの安心材料でした。
とすれば、つぎは、生きていく力が湧いてくるアプローチが、医師にとっての仕事です。

医師:「野村さん 特にどこが 悪いということも ないようだけど、元気が出んのだよね、困ったねぇ」
しばし の沈黙。ツボを心得た、ベテラン看護師も 沈黙に付き合います。居心地の悪い沈黙ではなく、静かな時間。
野村さん:「なんで まだ 死なんのやろうか。もう98歳たい 先生」
医師:「寿命がね・・」

また しばしの時間が流れます。

医師:「もう 20年以上の付き合いだね、野村さん」
野村さん:「そうたい 先生には 長いこと お世話になって」
医師:「いろいろ あったよね。インスリン注射を覚えて、病院を出て、いろいろね」
野村さん:「だんだん」、目が不自由になってね、目さえよく見えればね。」
野村さんの言葉が、続きます。
表情にも 少し 活気が出てきたようです。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:49Comments(0)レッスン

2010年02月12日

◆医療の現在 生きていく力 17

「次の方、野村さんどうぞ。」
普通と異なるマイクでの呼び出しをしてしまった○○医師でした。
98歳の野村さんが、老人ホームの看護師と診察室に入ってきます。
視力の低下は著しいが、足腰はしっかりしている野村さんなのですが、今日は、歩行に衰えが見えます。
椅子に座って、向き合って、活気の衰弱を感受した医師でした。

医師:「やあ、野村さん、どうですか?」
さりげなく、探りを 入れます。
普通なら、年令に比して、会話でのレスポンスの早い野村さんですが、今日は沈黙。
医師も、黙って 対座します。
付き添いの看護師が、助け舟を出します。
看護師:「野村さん、先生が尋ねよるよ。」
医師:「野村さん、どこか痛いとことか、息が苦しいとか、お腹が痛いとか?」
野村さん:「そんなことは ない ばってん・・」
医師:「元気がでんよね、」
野村さん:「そうたい、元気が出んとよ。」
看護師:「この前の受診から 数日してから、こんなんですよ。血糖とか血圧とか良いし、熱もないんですけどね。」
血糖とヘモグロビンエーワーシー(2ヶ月間の血糖の平均値)の結果は既に出ています。
医師:「正午140分の血糖が224 血糖の平均値が7.4% 。 ちょっと高めだけどまあまあだね。」
いともなら、「血糖高いね、大丈夫やろうか 先生」とただちに合いの手が入る野村さんですが、今日は沈黙。
これは、かなりの状態のようです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:00Comments(0)レッスン

2010年02月09日

◆医療の現在 生きていく力 16

後期高齢者(75歳以上)を、たくさん診ている医者同士で、時々、話題になるのが、この問題でした。
お迎えを待っているとか、長生きしすぎたとか の感慨を表白した直後に、血圧への不安を口にする、矛盾についてです。

医者同士の、会話では、
「でも、舌の根の乾かないのに、血圧が高いと心配するんだから」
「そうそう」 (笑い)
で終るのが常でした。
医師は、(笑い)で終わる会話に、一緒に笑いながらも、他方で、違和感を感じていました。
笑っている自分が、別の次元に設定されているように思われて。

野村さんとの 診察室での 遣り取りで、“違和感”の正体が、次第に分かってきたのです。時間をかけながらですが。
この矛盾に、医療の勘所があるということに。
少し考えれば、最後には、同じく死が訪れる個体に、介入して、死を先延ばししようと 頑張っているのが、医療の実際です。
高血圧に介入するのも、死を先延ばしすることを目指しているのです。
先延ばしの行き着く所が、確実な死であること。誰にも同じく訪れる。
実は、医療自体が、矛盾を孕んだ試みなのです。多分、ヒトの歴史と同じ程度の歴史を持つ矛盾を孕んだ試みなのです。
早くお迎えが来て欲しいと言いながら、その舌の根も乾かないうちに、高い血圧値への不安を吐露する98歳の野村さんは、医療とは何かを顕しているのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:17Comments(0)レッスン

2010年02月05日

◆医療の現在 生きていく力 15

いつ死ぬんやろうか という野村さんの口癖。
看護師:「また 出たね 野村さん」
野村さん:「看護婦さんは そう言うばってん 本当に 思うとよ 先生」
医師:「まあ、寿命というのは、人それぞれ 決まっているとも言うしね。」
野村さん:「そろそろ お迎えに来てもらわんとね」
医師:「でも、野村さんは、人の手を煩わせて生きているのでもなし、インスリンだって自分で注射しているんだからね。」
野村さん:「そうかねえ」
医師:「まあ、はっきりしているのは、僕はとても90歳まで生きることはむつかしいということだろうね。」
看護師:「本当に、先生 こんなに忙しくしてたらねー」
一同 笑い。

医師:「野村さん、血圧 測って みようか。」
医師:「172と62 だね。」
野村さん:「上が高かねー 大丈夫やろうか 先生」
医師:「年とともに血管が固くなるから、どうしても上に血圧は高くなるね。」
看護師:「昨日 ホームで測ったら、上は148だったよ。野村さん。 診察室だから上がったんじゃないと。」
看護師もフォローします。

医師は、そうかもと相槌を打ちながら、医師は、ここだな ポイントは と心中 呟きました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:13Comments(1)レッスン

2010年02月03日

◆医療の現在 生きていく力 14

野村さんと付き添いの看護師と医師の掛け合い漫才のような応酬のなかで、時々医師は、不思議に思いました。
「なんだろう この違いは? 20年前の病棟と、この診察室の違いは・・」と。
ちなみに、以下は、「生きていく力」の最初の頃の文章です。

“20年前、野村さんの入院しておられた病院では、月に2-3回血糖検査が実施されていました。
野村さんは血糖検査の結果を知りたいと強く思っていましたが、医療スタッフは結果を本人に通知することに、熱心ではありませんでした。とても忙しかったのです。“

「20年前の、病院の場では、こんな、自由な応酬がなかった。
患者は患者らしく振舞い、看護婦(当時)は、看護婦らしく振舞い、医師は医師らしく鎮座していて、それはそれで様になってたんだけど・・・。 随分 変わってしまったよな。野村さんは もうこの年で、変わりようもないけど、看護師も医師である自分も随分変わったんだよな」
「まあ、普通のヒト同士として、意思疎通が 自然にできるようになって いいことなんだな 多分」

野村さん:「先生 まだ なかなか 死にそうにないけど、いつ死ぬんやろうかね 私は、」
出た!
いつもの 野村さんの口癖です。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 20:37Comments(0)レッスン

2010年02月02日

◆医療の現在 生きていく力 13

昼間、看護師が日勤しているというのは、とても心強かったようです。
インスリン注射のことについて話し合ったり、血圧を測ってもらって相談したり、低血糖じゃないかと心配な時は、直ちに血糖値を測定してもらうこともできるようになりました。さらに外来受診の時は、看護師が送迎し、診察室でも付き添うようになったのです。

診察室では、野村さんと付き添いに看護師と医師の3人で野村さんの療養生活について、様々な遣り取りがありました。
医師:「野村さん、インスリンの量の確認は大丈夫かね。」
野村さん;「もう10年近くになるけんね。なれとるよ。」
医師:「でもね、野村さん、従来できていたことが、できなくなるのが とても年をとるということだからね。ずーと続けてできるって言うのはたいしたものだよ。」
看護師:「そう そう。朝、昼、夕 3回 ホームの長い廊下を5往復するのも 欠かさないしね。」
野村さん;「自分のことやからね。寝たきりになったら、“看護婦”さんにも迷惑かけるけんね」
看護師:「野村さんは なんも 迷惑かけとらんよ。ただ 食事の時間とかに うるさいのが玉に瑕かな」
医師:「インスリンしてるから それは当然だよね。野村さん」
野村さん:「そうたい。 でも この人たちは 本当によくしてくれるから。」
看護師:「またまた 野村さん いいとこ 見せて」
と 笑いの絶えない診察室での遣り取りだったのです。

“生と死”についての 話題も 頻繁に登場しました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:46Comments(0)レッスン

2010年01月29日

◆医療の現在 生きていく力 12

野村さんが、音を頼りの自己注射を開始した頃から、世間の風向きに変化が生じました。介護を、家族の責務ではなく、社会の責務にしようという動きです。こうした動きが結実し、2000年に介護保険制度が施行されたのです。
野村さんは初年度に申請して、要支援に認定されました。さらに2年後、視力の低下に伴い、野村さんは、要介護1に認定されたのです。
要介護Ⅰに認定された90歳の野村さんは、新たに病院の近くに出来た、比較的低価格の有料老人ホームに入居されました。
この有料老人ホームには日勤帯(8時―17時)に二人の看護師が勤務しています。夜間は介護福祉士など介護職の人が交代で勤務するという態勢になっていました。
こうした介護施設では、介護が日常の主要な業務なので、深夜帯には、看護師が配置されてない場合が多いのです。
しかし、介護が必要になった高齢者の多くは、日常的な医療行為を必要としています。導尿、浣腸、痰の吸引、床ずれの手当てなど。これらは、“診療の補助行為”とされ、看護師には、許された業務ですが、介護福祉士など介護職の資格では、できないことが原則なのです。
その一つに毎日のインスリンの注射がありました。特にインスリン注射は、朝の食事の前 とか、就寝前とか、日勤の時間外に注射することも多いので、介護施設では、本人による注射に頼らざるを得ないのです。
こうして、有料老人ホームに入居された後も音を頼りの自己注射は続いたのです。
しかし、野村さんの療養環境は、確かに改善されました。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:12Comments(0)レッスン

2010年01月25日

◆医療の現在 生きていく力 11

2週間に1回の野村さんの通外来診療は、最後に次回外来についての確認が繰り返されるのが常でした。
「2週間後の火曜日は、2月11日だけど、建国記念日で祭日だから、12日になるから、薬は15日分で・・・」と野村さん主導で、スケジジュールと残薬の確認がおこなわれるのです。
診察室の前方には、大きい活字のカレンダーが掛けてあるのですが、外来の喧騒の中で、医師は、時に期日の勘違いをしていましたが、野村さんの時は、ただちに間違いを訂正してもらえるので安心でした。
“写真のような記憶”という言葉があるそうです。頭の中に1枚の写真のように画面が刻印され、必要に応じて情報が取り出せる、特殊な才能のことです。
野村さんは、“写真のような記憶”を持っているようでした。
勿論、インスリン自己注射をしながら糖尿療養を続けることへの意欲から生じた、記憶力でしょうが。
しかし、元来 記憶力が良かったことは間違いないでしょう。
時々、医師は、思うのでした。
「野村さんは、現代に生まれたら、世の中で、そこそこの仕事をしただろうな、この意欲と記憶力でもって」と。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:13Comments(0)レッスン

2010年01月23日

◆医療の現在 生きていく力 10

野村さんの使用している、“高齢者用ペン式注射器”は、使い捨てタイプです。
インスリン液がなくなると、新しい注射器を使用するのです。注射器には3cc すなわち300単位のインスリン液が、入っているのです。
朝、夕2回の試し打ちを計算に入れると、野村さんは毎日24単位のインスリンを使用することになります。つまり12日で、ほぼ使い切る計算です。
普通は、注射器のインスリン残量を見て確認するのですが、野村さんの場合は、それが不可能なのです。誰かに見てもらうといっても毎日2回のことです。やはり、自分でできるにこしたことはありません。

この課題を解決したのは、野村さんの記憶力でした。
入院中、音で単位を数えるという新しい方法を練習している時、野村さんに、「今日でインスリン液なくなるやろ」と言われて、注射指導担当の看護師が見ると、その通りということがあって、看護師も医師も野村さんの記憶力に驚いたのです。
医師も、「野村さんの頭には、カレンダーが組み込まれているんだね」と、冗談を言ったほどです。

こうして、野村さんは、音で単位を数えるというインスリン自己注射法をマスターして、退院されたのです。
再び、高齢者アパートでの暮らしが始り、2週間に1回の外来受診となったのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:03Comments(0)レッスン

2010年01月22日

◆医療の現在 生きていく力 9

野村さんの使用している、高齢者用の“ペン式注射器”は、目盛りを設定する時、1単位毎に、カチッと音がするのです。野村さんは、従来は、左眼(右眼より見える)の近傍に、ペン式注射器の目盛りの部分を持ってきて単位の確認をしていたのです。1単位毎に回すと黒い線が移動し、予め印字されている目盛りと合致した部位が、インスリン液の注入量となるのです。
因みに、当時の野村さんのインスリン量は、朝12単位と夕8単位でした。1単位が0.01ccなので、朝0.12cc、夕0.08ccの注入量でした。

従って、朝の野村さんの日課は、朝食の30分前に、ペン式注射器、使い捨ての針、アルコール綿を用意します。次にペン式注射器に針をねじ込みます。ここまでの操作は野村さんの手が記憶しています。次に、左眼の近傍ではなく、耳の近傍にペン式注射器をもってきて12回,カチッを確認して、単位設定をして、自己注射をするのです。

ペン式注射器の欠点は、インスリン注入の確証がないこと、すなわち空打ちのリスクです。これを回避するために、注射の直前に2単位のため仕打ちをすることになっています。普通は眼で、インスリン液の飛び散るのを確認するのですが、野村さんの場合は、手のひらでインスリンの出ることを確認することになりました。
こうして、一歩一歩、視力に頼らないインスリン自己注射が整ってきましたが、もう一つ問題が残っていました。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:28Comments(0)レッスン

2010年01月20日

◆医療の現在 生きていく力 8

当時の病院の入院患者数には、季節による変化がありました。
気候が良くなると入院患者が減少し、空床(空いているベッド)が増えてしまうという傾向です。空床が増加するのは、病院経営上は問題でした。

昔から、“柿が色づくと医者は青くなる”と言われていたそうです。この言葉は、夏の暑さから解放され、さわやかな秋日和に恵まれると、医者要らずの体調になるという意味だそうですが、病院の空床は、1―2月の、寒さから解放されると増えるのでした。
そうなると、外来でも、積極的に入院を勧めるという雰囲気になってきます。

野村さんに対して、なんらかの対応をせねばという時期が、寒さを通り越した時期と重なり、野村さんは入院されることになりました。
入院して、看護師の世話を受けることで、野村さんの落ち込みは、改善しました。入院目的の一つは達成されたのです。
もう一つの入院目的は、視力に頼らずに自己注射ができるようになることでした。病棟の看護師も張り切り、様々な器具を取り寄せて、野村さんに練習してもらいましたが、結局野村さんは、とても単純な方法を希望しました。
音で単位数を識別するという方法です。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 21:14Comments(0)レッスン

2010年01月16日

◆医療の現在 生きていく力 7

野村さんの、視力は緩やかに低下していきました。
長寿をまっとうする人は、楽観的な人が多いという説があります。
「今日のことは今日で終わり、明日は明日が決めるだろう」という考え方をする人が、結果的に長生きするというのです。その点では、野村さんは、むしろ心配性でした。
2週間に1回の受診なのですが、秋になって朝夕がヒンヤリした季節になると、次回までに風邪をひくかもしれない予め、風邪薬をもらっておくというタイプでした。
診察の最後に診察室のカレンダーを身ながら、次回の診察日を確認し、薬が足りるかどうかも必ず確認されるのです。
そんな野村さんですから、ある時期から、こんな風に視力が低下して、そのこれから先どうなるんだろうという心配が強まり、受診のたびに口にさえるようになりました。
「眼もみえんようになって、生きていも仕方ない」といたった悲観的な言葉も出てきました。85歳の頃です。
現実的心配は、やはりインスリンの目盛りが見えなくなることでした。高齢者アパートでの一人暮らし、次第に低下する視力、85歳になってからの体力の衰え、気分的な落ち込みも伴ってきた様子でした。
医師もなんらかの対応をしなければと思い始めました。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:38Comments(0)レッスン

2010年01月15日

◆医療の現在 生きていく力 6

退院後のスケジュールとしては2週間に1回外来を受診し、週2回、病院のデイケアにも通所するというものでした。
アパートから、病院までは野村さんの足では15分程度でした。
デイケア通所には、送迎サービスがあるのですが、野村さんは、歩くのが身体に良いからと送迎サービスを断り、歩いて往復されました。
こうした野村さんの姿勢には、医師や外来看護師も感心していました。
ある看護師が、「デイケアというより通所のために、往復歩くのが、野村さんの体力維持に役立っているのですよね」と何気なく言った言葉が、医師には印象的で記憶に残りました。

それから数年して、“廃用症候群”という概念が強調されるようになりました。
“廃用症候群”というのは、筋肉であれ脳であれ、「使わないと衰えていく」という原則を示す専門用語です。考えると当たり前のことです。しかし、当たり前のことに気づくというのは、なかかむつかしいことです。
現在、“廃用症候群”は、老化による虚弱化防止の切り札とまで言われています。
現時点で、考えると、トボトボと15分かけて、アパートから病院まで往復することが、野村さんの“廃用症候群”を予防していたのかもしれません。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:35Comments(0)レッスン

2010年01月13日

◆医療の現在 生きる力 5

退院後の野村さんの療養生活で少し気がかりな点がありました。視力が少し低下してきていたのです。
糖尿病網膜症で視力が低下するのはよく知られていますが、野村さんの場合は、加齢黄斑変性症からの視力低下でした。ジリジリと視力が低下していくが、格別な治療法はないとの眼科医の見解でした。高齢者用の“ペン式注射器”の目盛りは大きいので、なんとか見えるのですが、将来が案じられました。
野村さんがインスリン自己注射の練習をしていた15年前から、10年程度、時が経過した頃から身近な支援者(多くの場合 家族 特に 嫁の立場の場合が多い)が確保されていない後期高齢者に、外来診療で、インスリン自己注射を導入することには一定のリスクがあるという問題が議論されるようになりました。
様々な障害で、自己注射が続けられなくなるリスクです。特に、後期高齢期になると増えてくる認知障害が問題になってきました。
15年前は、まだそうしたリスクに対する指摘もされていない時代でした。医師もスタッフも怖いもの知らずだったのかもしれません。
こうして、野村さんは、退院し、病院の近くのアパートに移り住み、2週間に1回外来を受診するという療養生活に入ったのです。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:12Comments(0)レッスン

2010年01月12日

◆医療の現在 生きていく力 4

野村さんと同じ事情の方が数人おられました。病院では、何回か会議をして、急遽、高齢者アパートを準備することになりました。病院の近くに準備された高齢者アパートに住んでもらい、医療は外来診療で提供しようというのです。野村さんもそこに移り住むことになったのです。
問題の一つがインスリン自己注射の問題でした。
インスリン自己注射が保険診療として導入されたのは約30年前になります。
導入当時は、インスリンの入った瓶から注射器で微量のインスリン液を吸い、皮下注射するという方法でした。つまり看護師が病院でするのと同じ手技を患者が実行することを求められたのです。
しかし、82才の野村さんが自己注射を覚えることになった15年前には、自己注射用の注射器具がグングン改善されていた頃でした。
あらかじめインスリン液が詰めてあり、目盛りを合わせて、後は押すだけという使い捨て注射器が主流で“ペン式注射器”と総称されていました。
そのバリエーションの一つで高齢者用の“ペン式注射器”が、発売された頃でした。目盛りが1単位刻みで大きく印字されているとか、押しやすいとか、様々な工夫がされていました。
野村さんは、病院で始めて、その注射器を使用することになったのです。
言うまでもなく意欲に溢れた野村さんでしたが、病棟看護師も新しい業務に意欲を燃やし、忽ち野村さんは手技をマスターし、病棟スタッフも驚きました。
スタッフが病棟で療養上の世話に追われている時、しつこく血糖検査の結果を聞きにくる、チョットうるさい野村さんというスタッフのイメージが少し変わったのでした。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:44Comments(0)レッスン

2010年01月10日

◆医療の現在 生きていく力 3

インスリン療法の開始で、野村さんの血糖値とへモグロビンエーワンシー(血糖の平均値)は改善し、野村さんにとって、月2-3回の血糖検査は従来にも増して待ち遠しい行事となりました。
インスリン療法の開始で、改善したとは言え、その中でも上がったり、下がったりするのが検査の常ですが、しみじみと検査の結果を見ては、「売店で買ったお菓子を食べたのがいかんかったんじゃろうか、寒いから、病院周囲の散歩を控えたせいじゃろうか」と振り返りに熱心な野村さんだったのです。
しかし、こうした日々は長く続きませんでした。医療提供の仕組みが激変していったのです。
長期入院患者をたくさん抱え込むと、診療応酬が低減していき、結果的に病院経営に困難をきたすような診療応酬が導入されたのです。

野村さんには、子供さんがおられます。特別不仲という訳ではありません。正月とお盆には数日、子供さんの所に外泊もする野村さんです。
野村さんにも、退院を勧める肩たたきが回ってきた時、子供さんの所に退院するのだろうと考えていた医師に、ケースワーカーから情報提供を受けました。
子供さんのところに戻るという選択肢はあり得ないという話でした。色々事情があるようですが、子供には迷惑をかけたくないという当時82才の野村さんの強い意思が基本にあったようです。
子供には、迷惑をかけず、生活したという野村さんに、医療としてどう対応するか?

次回に続きます。
  


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2010年01月06日

◆医療の現在 生きる力 2

○○医師が野村さんに一目置いている理由のひとつは、インスリン自己注射をしている最高齢の方だからです。勿論○○医師が診療している患者さんの中でと言う意味ですが。
インスリン自己注射というのは、インスリン液、注射器、針などを処方してもらい、患者が自分で自分にインスリン注射をして、血糖をコントロールし、糖尿病の療養をする治療法です。約30年前に保険診療として認められました。

60過ぎに糖尿病を発症した野村さんを、○○医師が始めて診たのは、20年以上前になります。既に、野村さんは70代の後半で、後期高齢期に入っておられました。
当時、病院に入院し、3年経過していた野村さんを担当することになった○○医師だったのです。
長期入院していた野村さんは、糖尿病治療に熱心でした。
20年前、野村さんの入院しておられた病院では、月に2-3回血糖検査が実施されていました。
野村さんは血糖検査の結果を知りたいと強く思っていましたが、医療スタッフは結果を本人に通知することに、熱心ではありませんでした。とても忙しかったのです。
○○医師が担当医になってから、血糖検査の結果を野村さんに報告し、血糖コントロールがうまくいかない原因を話し合うようになったのです。
結果的に経口薬では、十分に下がらない野村さんの血糖問題は、野村さん自身に良く理解され、77才からインスリン療法を開始することになった野村さんだったのです。
長期に病院に入院されるだろうと、野村さんも○○医師も、思い込んでいたので、自己注射ではなく、看護婦の注射によるインスリン療法が開始されたのでした。
○○医師は、それからの医療体制の激変を予想もしていなかったのです。

次回に続きます。
  


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2010年01月03日

◆医療の現在 生きていく力 1

「次の方、野村さんどうぞ。」
普通と異なるマイクでの呼び出しをしてしまった○○医師でした。

病院ではある時期まで、マイクを使用した患者名での呼び出しをしていました。
しかし個人情報保護の問題が浮上してから、待合室に響くマイクで個人名を呼ぶのはいかがなものかと言う意見が病院の管理会議で提出されました。
そこで、「次の方」でやってみると、病院設置のご意見箱に「次の方ではわかりにくい」という患者からの意見が寄せられ、また管理会議が召集されと言ったすったもんだの挙句、医師一人一人の判断に任せるという玉虫色の結論になったのです。
○○医師の場合は、基本的に名前を呼ぶ路線なのですが、個人的な歪みが付加されています。
外来診療時の医師の精神状態です。
外来がとても多くて、心の余裕がなくなるといつのまにか「名前路線」から「次の方路線」に変わってしまうのです。
早く終わらせたい、捌きたいという心境に追い詰められと「次の方」になってしまうのです。
冒頭の場面は、本日の外来の多さに追い詰められ、次の方と大きめの声で、言った後、次が野村さんであることを思い出し、「野村さんどうぞ。」と付け加えたのです。
○○医師にとっては一目置かざるを得ない98才の野村さんだったのです。
1912年6月の生まれなので、和暦では明治45年生まれです。

次回に続きます。
  


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