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2009年12月31日

◆医療の現在 老いて、丸く。7

「木村さん、もう15年前になりますかね。 あの頃は大変でしたね、救急車で循環
器専門病院に飛びこんだりして」
「こちらに連絡なしに、あちこち受診されるからどんな薬を飲んであるのか分からなくなるし」
昔のこととはいいながら、こぼしたくなる思いです。

木村さんは、来し方思い出すように、懐かしそうな笑顔を浮かべました。
「病院荒しでしたよ。 あの頃の私は。」穏やかな表情の木村さんです。
背後で見守る 息子さんも一言。「イヤー あの頃は、私達も振り回されて、20じゃ きかないでしょうね。 入院した病院の数は。」
「えっ 20を超す病院に入院したのですか?!」 医師にとっても初耳の情報でした
木村さんの人生の道行で、大変な嵐が 吹き荒れた時期があったのです、70代も後半になって。

「老いて、いて丸く・・か」と医師は呟きました
「こんな方もいるのだな 後期高齢期に到ると ますます その人らしく凝り固まるというのも 一面的な見方なのかもしれない」
医師は いつものように木村さんの脈を取ります。
やはり、不整脈が出ています。
「少し、脈がとんでいますね。」と医師
「どうもありませんよ」 穏やかな木村さんでした。
  


Posted by 杉謙一 at 07:54Comments(0)レッスン

2009年12月28日

◆医療の現在 老いて、丸く。6

医師としては、木村さんに翻弄されたと感受していた訳です。
それから数年して、雑誌であることを知りました。
“原因不明の身体症状を長期にわたって、訴える方がある”
“身体表現性障害と名づけられている”
“その中の一つに身体化障害というものもある”

この病像に、近似しているのが、木村さんの症状ではないかと考えたのです。
これをきっかけとして、病気についての医師の考えは、ジリジリ変わっていきました。

器質的異常に基づく器質的疾患が、由緒正しい“病気”であるというのは、むしろ、先入観を持った、医師の側の子も思いこみではないか。
困りごとをもって“患者”が“医師”を訪れ時は、困りごとを中心に据えて、虚心に問題解決に、協力するのが、医療の本筋ではないか。
というように。
このきっかけを、作動してくれた、木村さんとの遭遇だったのです。

しかし、今、老いて、丸い 超高齢期の木村さんです。
さりげなく受診に付き添う息子さんとともに、穏やかに診察室の椅子に座る木村さん。
かつて、木村さんも医師も、振り回された身体症状を思い出し、思わず医師は、言葉に出してしまいました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:56Comments(0)レッスン

2009年12月26日

◆医療の現在 老いて、丸く。

70代前半の頃の木村さんは、不整脈が、頻繁に 出ていました。
心室性期外収縮という不整脈で、多くの場合、問題ないと言われている不整脈です。
しかし、木村さんにとっては、とても気になる症状で、時には、このまま心臓が止まってしますのではないかという恐怖感がこみ上げてくるのです。

「先日、救急車で、循環器専門病院に駆けつけて、一泊入院しました。」という報告があったり、数ヶ月 顔を見ないなと思っていると、突然、外来受診され、別の循環器専門病院に、暫く通院していました。薬も少し変わりました。見てください といった調子なのです。
医師としても、ない知恵を絞り、医学的専門知識も調べ、自分なりの理解で 説明していたので、木村さんが、独自の判断で、様々な病院に、行かれることに 不快な感情を持ちました。

“wander” という 英語は あてもなく動き回るという意味だそうですが、 医師同士の業界用語的な言葉で、“ワンダリング”というのがあります。
自分な判断で、様々な病院をさまよい歩くという意味で、そうした患者の行動を揶揄するようなニュアンスがあります。
木村さんの 受療行動は、当時の医師にとって、まさしく“ワンダリング”に見えたのです。
動悸を中心としながらも、木村さんの身体症状の訴えは、足先から、頭にまで及び、医師にとって、まさしく “タフ ペイシャント”でした。
「もう いい加減にしてください」と、口から、出そうになるのですが、これは医師にとっての禁句なので、紹介状も持たずに あちこち受診することの不都合(不十分な病歴で診察される)を説教したり、無愛想な対応をしたり、遂には他の患者の診察で時間がないと退避したりしたものでした。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:04Comments(0)レッスン

2009年12月25日

◆医療の現在  老いて、丸く 4

“器質”とは、国語辞典的には、“器官の構造的・形態的性質”という意味のようですが、医療の場では、“器質的な疾患”という用語は、とても、実用的に使用されます。
“機能的な疾患”と相反する意味として。

“器質的疾患癌”とは、癌・炎症・血管閉塞など、形態的に確認でき、医療的介入(手術がその代表ですが)をしないと、重大な結果に陥る病気。
“機能的疾患”とは、明らか自覚症状で、本人が困っていても、形態的に確認できる異常がなく、放置しても、重大な結果に陥らない病気。

例えば、木村さんが、「胸苦しくて、苦しいです。心臓が止まりそうで」と、切羽詰った訴えで受診されたとします。
狭心症?心筋梗塞? 重い不正脈? 心不全? 肺血栓塞栓症?
これらの“器質的な疾患”でないことを、先ず確認せよということ。これが「器質的な疾患を まず 除外する」という意味なのです。
“器質的な疾患”が確認されると、患者にとっても 医師にとっても 緊張の瞬間で、直ちに治療(医療的介入)の算段に移ることになります。
医師にとっては、緊張の時間が続くのですが、患者―医師 関係は齟齬がない場合が多い。
つまり、患者に現に体験されている疾患と医師が知る疾患が、ピッタシ 一致しているのです。
つまり、患者―医師関係という観点からは、問題のない、幸福?な事態なのです。
実際の医療の場では、こうしたケース、ピッタシ一致しているケースは、少ないように思います。
ER(救命救急室)に、救急車で運ばれる方で、本当に救急な方は、むしろ少ないというのに似ているかもしれません。
しかし、仮病でもなんでもなく、ご本人が、切羽詰った 身体の苦痛を 経験していることは、紛れもない事実なのです。少なくとも木村さんの場合は。 
次回に 続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:25Comments(0)レッスン

2009年12月22日

◆医療の現在 老いて、丸く 3

「薬を飲んでも、グッスリ眠れません。」という訴えがしばしばありました。
しかし、医師にとって、木村さんが、“タフ ペイシャント”である所以は、次々と出てくる身体の異常の訴えったのです。
眼がシバシバして、疲れていく。そう言えば、見えにくくなってきたような気もする。
喉のあたりが、詰まった感じがある。だんだん 息がしにくくなっていくようだ。
急に 生じる、動悸。そのまま心臓が止まって、死んでしまうのでは。
臍の上方(心窩部)のもたれ感。最近は、食事量も減って。
臍の下方に違和感、排尿時に悪化、時に残尿感。
両下肢 下腿に急に襲ってくるこわり感

木村さんとしては、身体をかけた 必死の訴えで、何とかして欲しいのです。特に、動悸については、死の恐怖へと連動していくので深刻でした。
セオリーからすると、こうした、訴えに遭遇して、医師の対応は、「器質的な疾患を まず 除外する」ということになっています。
“器質的な疾患”?
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:31Comments(0)レッスン

2009年12月21日

◆医療の現在 老いて、丸く 2

息子さんは、去年 退職し、リタイア生活に入られました。リタイア生活は、あらかじめ充分準備されていたようで、中心は、奥様との役割交替でした。 
すなわち“主夫業”にはいられたのです。全部という訳ではなく、掃除とか、買い物の一部とか。
他方、奥様は、パート勤務から、常勤に替わられたのです。
木村さんの息子さんの重要な役割の一つが、お母さん(実母)の介護でした。診察への付き添いもその一つだったのです。

医師が、木村さんを診るようになって、もう15年以上になります。当時は70代半ばで、まだ“高齢前期”の木村さんだったのです。

今は、“超高齢期”の木村さんが、診察室に入って来られたのです。息子さんに付き添われて。
医師:「いかがですか。木村さん。なかなか調子良さそうですね。」
木村さん:「ええ、そうですね。何とか」
いつも笑みを絶やさない、穏やかな木村さんです。
医師:「それにしても、木村さん 昔に較べると 随分 調子よくなられましたね」
木村さん:「そうでうかねぇ。 もう年ですから」

医師仲間の業界用語で “タフ ペイシャント(tough patient)”というのがあります。
ペイシャント(patient)は、ご存知の通り、“患者”の意味ですが、忍耐強いとか、辛抱強いということ意味おあります。
タフ(tough)には、“骨の折れる”という意味があります。
つまり“タフ ペイシャント”とは、“骨の折れる患者”を意味する医師の業界用語なのです。
  


Posted by 杉謙一 at 06:56Comments(1)レッスン

2009年12月19日

◆医療の現在 老いて丸く 1

「木村さんどうぞ お入りください」
医師のマイクを通してのコールで、いつものように、長男さんとともに、木村さんが 診察室に入って来ました。先頭は、お母さん、息子さんは後からです。付き従うという感じではなく、さりげなくという感じでしょうか。

医師の勤務する病院で、マイクによるコールについて、ある時期 議論されました、丁度個人情報保護法が話題になっていた時期でもあったのです。
名前ヲマイクで呼ぶのはよくない。「次に方」と言うべきだという意見が多数派でした。
しかし、医師には 違和感がありました。
たまたま 医師の外来は、70代後半を優に超した、高齢者が多く、一昔前、揶揄っされた、「待合室は、無聊をかこつ老人の溜まり場」的な雰囲気を残していたので、あえて、名前でのコールを続けているのです。

木村さんもご多分に漏れず、来年90歳という、お年です。
暦年令は、日本のように 戸籍が全国的に整備されて永い日本のような国では、一番の基本的情報として、有益です。 
しかし、「そのお年には見えませんね」 とか 「あの人、えらく老けているね」とか、しょっちゅう言っている私達ではあります。
日本老年医学会編の「老年医学テキスト第2版」に、以下の記載があります。
「統計上、老人を65歳以上とすることが多い。その場合、65~74歳を高齢前期、75歳以上を高齢後期とするのが一般的である。さらに85歳以上を超高齢期とするものもある。いずれにしても問題が多くなるのは、75歳以上の後期高齢者である。その医療は広範で包括的となる」

老年医学的には、“超高齢期”の木村さんが、診察室に入って来られたのです。その後ろから、息子さんが いつものように、さりげなく、入室してこられました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:22Comments(0)レッスン

2009年12月18日

◆医療の現在 手強い親 6

病気を体験した人は、自分の固有の経験として、身体の記憶に病気を刻みこみます。
他のこととは置き換えることができません。
しかし、医療の場では、 一人の“患者”となります。

医師は、症状から、診断に辿り着き、疾患をして確定すると、たくさんの中の一つとして、整理します。

病んだ人の固有の経験と、医師にとっての“鼻血”、この両者のギャップ。
どちらが、正しいとか間違っているという問題ではありません。
この両者が とても隔たっていることを 医師がいつも繰り返して自覚すること
これが多分 大切なのです。
それを 教えてくれた原田さんだったのです。

息子さんにとっては手強い母親である原田さん
医師にとっては手強い患者である原田さん。
93歳の原田さんは、今日も毅然として、息子さんを一喝するのです。
  


Posted by 杉謙一 at 20:21Comments(0)レッスン

2009年12月16日

◆医療の現在 手強い親 5

鼻血での入院から、1年立った時の外来、そう 5年前になりますが、医師にとって印象に残る原田さんとの遣り取りがありました。
医師:「原田さん、鼻血で入院して、もう1年たったのですね。時のたつのは、早いですね。」
原田さん:「そうねぇ。あの時は命拾いをしましてね。 本当に危ないとこを先生に助けてもらって」
医師:「イヤー 鼻血ですから。たいしたことでは」
原田さん:「本当に 命拾いを」
更に、遣り取りを重ねて、医師は原田さんが 心底 命拾いをしたと信じていることを知り驚いたのです。
迂闊な話ですが。
当然、血は吐いた入院時 その後の経過 治療の過程で、それなりに詳しく病状を説明していたつもりでした。
後鼻腔からの出血が、咽頭に流れ込んで、口から血が出たことなど経過、
要は鼻血だが、ややこしい鼻血で、止まらないと耳鼻科医の専門的な治療を要するが、幸い、簡単な処置で止血した経緯など。
しかし、原田さんは、生命の係る重大な病気で九死に一生を得たと確信していたのです。
医師はそのギャップに驚いたのです。
次回に続きます。 
  


Posted by 杉謙一 at 06:04Comments(0)レッスン

2009年12月08日

◆医療の現在 手強い親 4

数十年前に時間をまき戻すと、腕白坊主であったろう原田さんの息子さんを、一喝した強い親を髣髴とさせる、二人の関係だったのです。
そして、今、老いた母を、労わる息子さんですが、その息子に感謝してというようにはコトが運ばないという現実。

原田さんが、始めて、医師と治療関係を持ったのは、もう6年以上前になります。
発端は鼻血でした。夜間、時間外に血を吐くという訴えで受診されたのです。
その日当直していた内科医の医師にとって、すぐに耳鼻科を紹介したいところだったのですが、何せ夜間だったので、とりあえず診察することにました。
自宅では、そこそこに血を吐かれたようですが、同時に鼻からも血が出ており、鼻血らしいということになりました。血管収縮剤を沁み込ませたガーゼを鼻腔に詰め様子をみているうちに、血は止まり、翌日の耳鼻科受診で、特に基礎に病気のない普通の鼻血でいいだろうという話になったのです。
医師にとっては、楽な症例ということになります。
電話での問い合わせの時点で、応諾するかどうか悩み、止血するまで冷や冷やしたことを除いては。

血圧が高いので、降圧療法をすることになり、1ヶ月の入院生活で退院されたのです。
それ以来、毎月定期受診されて、降圧剤と漢方薬、それに少量の睡眠導入剤を服用されるようになったのですが、半年前から、外来受診に息子さんが付き添われるようになったのは、以前書いた通りです。
  


Posted by 杉謙一 at 06:31Comments(0)レッスン

2009年12月07日

◆医療の現在 手強い親 3

医師:「原田さん 寿命は自分で決めるものでもないからね。別に急がなくても、お迎えが来る時は、来ますよ」
原田;「そうねえ」
 原田さんから、見ると、自分よりはるかに年下の医師ですが、“お医者さん”にたいしての敬意を 組み込まれた世代なので、こうした 医師の物言いには、素直に肯く93歳の原田さんです。
半年前までは、一人でバスに乗って、受診されていた原田さんですが、最近は、息子さんが、受診に付き添われています。
特に、歩行や動作に変化があったよういは見えませんが、なにかのきっかけがあったのでしょう。
医師も敢えて尋ねませんでした。
診察室には、原田さんと息子さんと医師の3人がいるというシーンですが、1回は、頭ごなしに息子を一喝するという類の場面が出現するのです。
“手強い親”という感じです。
原田さんのどんぐり眼を見ると、“強さ”を感受する医師でした。
或る、老年医療の教科書によれば
「高齢者は、自分の流儀に凝り固まり、年をとったという以外は、若い頃の自分にますます似てくる」
そうですが、この記載は、的を得ている確信させてくれたのが、原田さんだったのです。
医師にとって。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:38Comments(0)レッスン

2009年12月05日

◆医療の現在 手強い親

医師:「しかし 原田さん そのお年で、シャンシャン 歩けるのはたいしたものですね。還暦過ぎると、足腰が痛くなって、歩くのに 不自由を感じている方も多いですからね」
原田;「そうねえ。いつまで生きてるのだか。そろそろ お迎えにきてもらわんと」
原田さんの息子さん:「すぐ こんなことを 言うから、ちょっとね。私も女房も・・」
  フンとした雰囲気で、敢えて 息子さんを見ようともせず、医師に向い言葉を続ける原田さん
原田;「 いやぁ 先生ねぇ 90超すと、毎日 生きているのも大変ですよ。」
医師:「ですようね・・ 93歳か・・  原田さんにとっては、初めての93歳ですよね。」
  とサラリと受け流して
医師:「ところで 原田さん お薬の方は、ちゃんと飲めてますか。特に 血圧のお薬とか。」
  ここぞと、息子さんが、口を挟みます。
原田さんの息子さん:「それなんですよ。先生。薬は、自分で管理すると 私達に触らせないんですが、朝1回の薬とか、1日3回 食間にのむ漢方薬とか、ナンカ適当に飲んでいるみたいで。」
 
ここで、空気が一変。  どんぐり眼で 息子さんを 一瞥して
「あんたは いいの。そこに控えときなさい。」の、冒頭の一喝が 出たのです。
  60歳半を超えた、地元の有力者である息子さんも 苦笑いです。
  
医師が、話題を変えます
医師:「ところで、原田さんは、別棟に住んでいらしたんでしたっけ」
原田さんの息子さん:「渡り廊下でつないでいます。」
医師:「お食事は?」
原田さんの息子さん:「朝と昼は 女房が部屋まで、運んで、夜は、私達のところの来て貰って、一緒に 食べています。」
医師:「それは いいですね。適当な距離で。原田さん 理想的じゃないですか」
  原田さんも 満更では なさそうな 表情です。
  


Posted by 杉謙一 at 06:06Comments(0)レッスン

2009年12月04日

◆医療の現在 手強い親 1

「あんたは いいの。そこに控えときなさい。」
リンとした 原田さんの一声に、息子さんも苦笑いです。
60歳半を超えた、地元の有力者も、90歳を越えた母親の前では形無しです。

「原田さん、もう1ヶ月たったんですね。」
診察室に息子さんと入室した原田さんに、医師が声をかけた時から、診察が始ったのです。
原田さん:「早いですね、1ヶ月たつのが。」
医師:「どうですか。お具合は。  寒くなりましたけど。」
原田;「そう・・・」
原田さんの、眼はクリッとして力があります。その眼で、医師をしっかりと見ながら、しばし 沈黙です。    様々な思いをかみ締めているようでもあります。

原田;「もう 来年は、93歳、よく 生きたものだ」
医師:「凄いですね。しかも ちゃんと 何でも自分で おできになるのだし。たいしたものですよ。散歩にも行っておられるんでしょう?」
原田;「いや。最近は、あまり 外には出ません。いい年して、いつまで 散歩なんかするんだろうと 近所の人が 思うんじゃないかと。」
医師:「そんな風には思ってないでしょうけど・・」
  このあたりは、数年の患者―医師関係の中で、医師も原田さんへの応じ方を心得ていました。
 
教科書的には、歩行に不自由がなくて、認知障害もなく道に迷うリスクも皆無の 
原田さんのような、85歳以上の超高齢者には、強力に散歩を勧めるのが、原則です。
高齢者の心身機能の低下は、1/3の法則があると言われます。
①老化によるもの
②疾患によるもの
③廃用によるもの
以上3つです。
一番、変えられるのは、“③廃用によるもの” です。
「使わないと衰える廃用」を防止する。
超高齢者への もっとも適切な療養指導は、廃用を予防する生活習慣の指導です。
この原則によれば、医師は、歩くことが 廃用を予防する所以を 縷々 力説する場面ですが。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:47Comments(0)レッスン

2009年12月01日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 11

勿論、エネルギーと栄養素に基づく近代西洋の栄養学をベースとした食事療法です。

考えてみると、1885年の「医術開業試験規則」 即ち 西洋近代医学が正統な医学・医療であるとされて、半世紀後に東京大学病院の厨房で、食事療法が導入されたのです。
導入したところ、治療食の指示は、なかなか出なかったのです。
食品成分別管理の元になる栄養学に対して、医師の関心は低かったのです。現代においても医師の主要な関心は、“診断と治療”です。薬・処置・手術に興味を引かれる傾向があります。
医師が治療食の指示を出すような 工夫の一つが、病名と治療食をひも付きにすることだったという話です。
糖尿病―糖尿病食  膵炎―膵炎食 のような。

義務教育で習う、食事と栄養の基本 カロリー(エネルギ-)、3大栄養素、ビタミン、ミネラルといったことを基本として、日々の食べることがと栄養学と混じりあい、向こうに、病気の治療食を展望するという 連続性が欠けているのです。
他方、マクロビオティックに代表される、近代栄養学とは、別の観点に立つ、食養生が根強く支持され、更に、様々なダイエット、食にまつわる健康法が、呈示される現在です。
「博多あれこれ」の“私のダイエット法”のように。

食べる 喰らう という ヒトの原点に係る食事療法。
近代栄養学に基づく、 “栄養成分別食事管理”という分析的知識を活用しつつ、一人一人が、日々 食べることにどうアプローチするか。
とても奥が深い “食事療法”だと思います。
  


Posted by 杉謙一 at 06:08Comments(0)診療の徒然に