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2008年09月30日

◆医療の現在 効く薬の功罪 3

伝統医療から近代医療への離陸(進歩ではない)は、薬の観点からは、“効かない薬→効きすぎる薬”への離陸と表現できるかもしれません。
 ヒポクラテスの時代から、やなぎの木が解熱、鎮痛作用を持つ事が知られていました。19世紀にはヤナギの木からサリチル酸が分離されましたが、強い胃腸障害がありました。サリチル酸をアセチル化してアセチルサリチル酸が合成されたのがアスピリンで初めて人工合成された薬です。
現在も病院でバファリンとして処方されているのはご存知だと思います。アメリカでは、アスピリンは大量に飲まれており、近代医学の雄とも言える薬ですが、反面、胃障害の副作用もあり、アメリカにおける薬の副作用被害の4分の1を、アスピリンが占めているとも言われています。
 近代医学の金字塔ともいうべき効く薬は、ペニシリンでしょう。第二次世界大戦から臨床現場で使用され劇的に効きました。細菌による感染症で、瀕死状態の患者さんが劇的に良くなったのです。
その後、耐性菌の出現、 更なる強力な薬の開発 更なる耐性菌の出現の繰り返しで、かつての威光はありませんが、ペニシリンから始まった抗生物質(最近では抗菌薬と呼びます)は、現在でも医療現場で、感染症治療の切り札です。
 いわゆる“風邪”の多くは、ウィルスによる上気道感染なので、医学的には抗菌薬は効かないのですが、医療従事者は、抗菌薬の処方を希望する傾向があるとよく言われます。
言うまでもなく抗菌薬は、前々回で書いた“④細菌を始めとする病原性微生物をやっつける薬”に属します。
 病原性微生物が、ヒトに悪さをする病態を“感染症”と総称しますが、病気というものの原型 一番分かりやすい病気です。
 最近のメタボは、お腹の脂肪が悪さをするという話ですが、脂肪といえども自分の身体の一部ですから、もう一つピンときません。
 その点、病原性微生物は、身体の外から侵入してくるというイメージがありますし、侵入した結果発症する感染症は、急に熱が出てきつくなってという病気らしい病気で、そこに抗菌薬が登場して、劇的に良くなる病魔に打ち勝ったというのでとてもスッキリした解決法なのです。
しかし、いろいろなことが分かってくると、もう少しこみいった話で、元来ヒトの身体に棲みついた病原性微生物が、免疫力の低下で悪さを始めたり(日和見感染)、数十年密かに活動してガンを発症させたり(C型肝炎からの発ガンなど)事態は複雑なようです。耐性菌の問題とも相俟って、感染症もスッキリいかない現在です。
 では、①苦痛を軽減する薬:痛み止め、睡眠剤、熱冷まし、下痢止め、胃の不快な症状を取る薬等 はどうなのか。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:17Comments(0)診療の徒然に

2008年09月29日

◆医療の現在 効く薬の功罪 2

今回の女性の場合、①の苦痛を軽減する薬になります。もし眠れなかったら薬が効かないことへの不満を言われたでしょう。しかし、しっかり効くとそれはそれで不安になられたのです。よく効く薬を飲むと不安を抱く人がいるということです。
 診察室で話をしていると「もっと強い薬で」とか「あまり強くない薬で」とかいう言葉が患者さんから発せられることがあります。強いとか強くないという表現も医師側としてはひっかかりのある表現です。
 強いとか強くないという表現が一番ピッタシくるのが、絨毯爆撃的に生体反応を押さえ込んでしまう薬です。⑥免疫反応を調節する薬に属する“ステロイド”と総称される薬が代表的です。
皮膚の湿疹は、皮膚表皮における炎症反応です。湿疹の治療には様々な塗り薬がありますが、多くのものに“ステロイド”が含有されています。“ステロイド”はⅠ群からⅤ群まで五つに分類されていますが、Ⅰ群は“最強(=strongest)”、Ⅴ群は“弱い(=week)”と命名されており、文字通り強いとか強くないの世界です。
アトピー性皮膚炎は湿疹の中でも手強い病気で、“ステロイド”の副作用の問題も絡んで物議を醸しているのは、ご存知の通りです。
⑤に属する抗がん剤も同様で、がん細胞と共に正常細胞も痛めるといういわゆる抗がん剤の副作用の問題が強調されてきました
 従来の⑤や⑥に属する薬剤は、絨毯爆撃のようなもので、副作用も大きかったのですが、最近の生命科学の進歩にともなって、薬も絨毯爆撃から、ピンポイント攻撃に変わりつつあり、抗がん剤も装いを新たにしつつあります。
 効く薬への不安というのは、従来の強引な薬の使用経験から惹起される副作用への不安がありそうです。
しかし、今回のように①苦痛を軽減する薬がよく効くことへの不安は副作用問題のみでは説明できません。
効く薬で薬に依存してしまうようになるのではないか。いつまで薬を飲むことになるのだろう。眠れないのを薬で眠るのはなんとなく後ろめたい。自然な状態から逸れているのではないか等等。
 ①のタイプの薬を処方して、効く薬への抵抗感を訴えられた時、医師としては色んなことを考える必要があります。
1)治療関係への不満が薬への不安という形で表現されているのではないか
2)効く薬へのためらいと眠れないことへの拘り、つまり、飲みたいが飲むのが不安という葛藤に陥る可能性がある人かどうか。
3)実は、薬へ依存していくタイプでその予感を効く薬への不安という形で表現しているのではないか。
当然、それによって説明の仕方が違ってきます。
「飲んで得だと思ったら、割り切ってサバサバ飲んだらいいんですよ。」アッサリした口調で説明する。
薬を巡る応酬の中で、治療関係への不満の核を探る
依存の問題を念頭に置いて説明する等
多分、大事なのは、医師が考えている以上に患者さんは薬問題に敏感だということです。両者のギャップです。
考えたら、当然です。薬を実際飲むのは患者さんで、相手と同じように感受するのは、医師といえでもとても困難な課題なのですから。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:42Comments(2)

2008年09月26日

◆医療の現在 効く薬の功罪

眠れないことを訴えて相談に見えました。50代前半の女性です。いわゆる睡眠障害ですが、まず内科医で対応できるのかどうかを短時間で察知する必要があります。多くの精神疾患が不眠を伴うことはよく知られています。
精神疾患の分類と診断の手引きを見ると、“他の精神疾患に関連した睡眠障害”とか“他の精神疾患の経過中に”という記載に遭遇します。多くの精神疾患は不眠を伴うのです。精神疾患に伴う不眠は、元の病気の治療が一番大事というわけです。
といっても実際私の目の前に現れた方が、精神疾患に伴う不眠なのか、単なる不眠なのか はっきり識別するのは困難なのですが、まず、内科医でいけるかなと決断するわけです。
 次に、もう少し突っ込んで、不眠のタイプ、不眠により困っていることの内実、本人の考えなどについての情報を得て、取合えず睡眠薬(睡眠導入剤)の処方をすることになりました。
睡眠導入剤ですから、薬の効果判定の指標は簡単なように思われます。よく眠れて、翌日の目覚めが良好で持ち越しがないなら、よく効く薬として○をつけて良いと思われます。
50代前半の女性も、このような経過を辿りました。「よく眠れました。目覚めも良かったし、グッスリ眠ると翌日は調子いいですね。」
「それはよかったですね。」と私も嬉しくなります。一部の迷いを残しながらも、自分なりに判断し、処方した薬が効いて患者さんも喜んでくれている。
「前回は試しに3日分処方したので、今日は2週間分処方しておきましょう」
「いや 先生 待ってください。余り効くので、もう少し弱い薬でいいと思うのですが」
「でも、翌朝の寝覚めがスッキリしているのなら、問題ないでしょう」 
「いやいや、どうも ここまで効くのはちょっとね・・」
結局、更なるやりとりのすえ、この女性は、当初の処方の半錠を服用して、様子を見ることになって診察が終了しました。
 医師の立場からは、薬は効く方がいいに決まってるじゃないかと当然のように思っていますが、患者さんの心中は多分もっと複雑なのです。
この問題を考える前に、飲む立場に立つと、薬はどう見えてくるのかを考えてもみます。
①苦痛を軽減する薬:痛み止め、睡眠剤、熱冷まし、下痢止め、胃の不快な症状を取る薬等
②検査値を良くして血管病を防止する薬:血圧降下薬、血糖降下薬、コレステロール低下薬等
③血液を固まりにくくして血栓形成を防止する薬
④細菌を始めとする病原性微生物をやっつける薬
⑤がん細胞を攻撃する薬
⑥免疫反応を調節する薬
⑦不足成分を補充する薬
他にもありますが、主なものを思いつくまま列挙しました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 21:46Comments(1)診療の徒然に

2008年09月23日

◆医療の現在 精神的なものでしょう 5

医学・医療の専門的知識の元になっているものの一つに症例報告があります。この症例報告は、形式が決まっています。患者―主訴―既往歴―家族歴―現病歴―身体所見―検査所見と一定の順序で話が展開されていくのです。患者で年令と性別が記載され、次に主訴が記載されます。今回のケースでは排尿後の下腹部の違和感ということになります。患者が現在直面している困りごと、医師を訪れようと決断して困りごと それをそのまま記載するのが、ポイントです。
 患者の困りごとに、真正面から対応して、協力して解決の途を探ること。その過程を丁寧に付き合って、少しでも困りごとが軽減することを共に喜ぶこと。
多分、これが、医師の原点だと思います。
膨大な医学の知が蓄積され、巨大な医療提供の仕組みが整備された今日、この原点はぼやけてきます。
 現代日本での最大の死因と言えば、ガンと血管障害(具体的には脳血管障害と心臓の冠動脈疾患)ですが、いずれも困りごとになった時点では、手遅れという病気です。
何も、困っていないのだけど、早期に発見し早期に治療しないと、治療効果がないという話です。
例えば、C型肝炎ウイルスによる肝臓ガンは、まだガンが出来る前に、発見してウイルスを排除する特効薬(インターフェロン)で治療すると、ガンにならずに済むということです。その時点では、検査結果で異常が確定されるだけで、本人は痛くも痒くもないのです。
 こう考えると、原因不明の身体愁訴は、古典的な病気と言えるかもしれません。
つまり、困りごとで訪れる患者に、特に有効な特効薬を持たない医師としては、患者の訴えを傾聴しながら共に解決の途を探るしかない。
診断をつけることではなく、本人がどれくらい真摯に困っているかに焦点を合わせることで次のステップに行ける病気。
医の原点を改めて、開示する病気。
件の“精神障害の臨床”の最後はこう結ばれています。
「身体表現性障害の患者を精神科に紹介する場合も身体科の医師が『後は精神科に任せたから』と患者に告げ、自ら医師間の連絡を絶つことは不適切であり、治療阻害要因ともなる。また身体表現性障害に含まれる疾患では、精神科医に紹介しても、精神医学が有効性の高い治療法をもっているわけではなく、治療中の脱落も多い。したがって身体科の医師が精神面に適切に配慮しながら経過をみるほうがよいという考えもある。」

現代医療にとって、何かを投げかける「精神的なものでしょう」ではあります。
  


Posted by 杉謙一 at 05:52Comments(0)診療の徒然に

2008年09月22日

◆医療の現在 精神的なものでしょう 4

ここでどうしてもこころとからだの問題に触れざるをえません。こころは最近では、脳の働きと理解する人も増えてきていますが。
これまで、参考にさせていただいた“精神障害の臨床”に精神疾患における診断の考え方が記されています。まず精神症状が認知される。
精神症状とは、“物忘れがひどい”、“興奮してわけのわからないことをいう”、“ 実際にはないものを見える、聞こえるという“、“気分が落ち込む”、“意味がないとわかっていても、やらないではいられない”などです。
ポイントは本人か周囲がとても困っていること。そのために社会生活に支障をきたしていること。身体の病気ではなさそうで、素人目にもあのヒトちょっとヘンよねと直感的に認知できることで。
 こうして、精神症状が認知された時、次のように考えたらよいと解説してあります。①外因性精神障害(身体疾患で精神症状が出ている、例えば脳腫瘍で物忘れが出現する)②内因性精神障害(精神科固有の疾患で精神症状が出ている、例えば躁うつ病)③心因性精神障害(性格や環境が原因で精神症状が出ている、例えば仕事の行き詰まりによるうつ状態)
以上3つのいずれに該当するかを考えてみると医師の思考が整理されていくというのです。敷衍すると こころ(精神症状)→からだ もしくは、 こころ(精神症状)→こころ(内因性精神障害、心因性精神障害)という思考経路です。
 しかし、“原因不明の身体愁訴”すなわち“身体表現性障害”は、“こころ”ではなく“からだ”から話が始まっているのが異色です。つまり、からだ(身体愁訴)→からだ(身体疾患かどうかの評価)→こころ(精神症状だと認知)→①、②、③の鑑別。と思考が進んでいくのです。
どうしてこんなに複雑に考えるだろうとため息がでます。
心身を分離して、考えるというデカルト以来の近代医学の基本に忠実に考えていくとこうなるのです。
 この点一つとっても“原因不明の身体愁訴”が医師にとってとても困難な課題であることが、よく理解できます。近代医学のウィークポイントを突かれているのです。医師としては、なんとかお引取り願いたいという衝動に襲われ、多分それを察する患者との関係がこじれていくのです。
「精神的なものだろう」、「あの患者は不定愁訴だから」こうした言い方がしばしばされる医療現場、なにかいい知恵はあるのでしょうか。
  


Posted by 杉謙一 at 06:27Comments(0)診療の徒然に

2008年09月20日

◆医療の現在 精神的なものでしょう 3

 前回、最後に“精神障害の臨床”について、「原因不明の身体愁訴に係わらないほうがいいよというメッセージのようにも読めます。」と書きましたが、私には、原因不明の身体愁訴は大変な病気だから心して取り組めというメッセージのように読めます。
 普通、医学雑誌は、患者の症状や検査結果の記載なのですが、“精神障害の臨床”の“原因不明の身体愁訴(痛みを含む)を訴える”の記載は、医師の振る舞い(診断・治療)についてのメッセージなのです。
 つまり、患者や症状だけが問題ではなく、“治療関係”が問題だと書いているのです。
或る集団で、皆から問題視されているAさんがいたとして、Aさんをどうかせんといかんと皆が考えたとして、実は、Aさんではなく、他の皆にも問題があった。本当はAさんとAさん以外の皆との関係が問題だった。こうした考え方です。
 医師は問題の渦の外に位置して、客観的に検査―診断―治療ができるはずだという、思い込みに、そうじゃないよ、治療関係自体が問題なのだよと医師の反省を促している記載なのです。多分、これを書かれた精神科医師の臨床経験 治療関係がこじれて病いが深くなり、送り込まれてきた患者達との臨床経験からの警告なのでしょう。
 そもそも、教科書的には、原因不明の身体愁訴というややこしい病態はどう整理されているのでしょう。
「精神疾患の分類と診断の手引き」という本の中では、原因不明の身体愁訴は、“身体表現性障害”として、定義されています。その中には、“身体科障害”、“鑑別不能型身体表現性障害”、”転換性障害“、”疼痛性障害“、”心気症“などが含まれます。
 心身症との違いに注目してください。以前に書いたように、心身症はまずはっきりした身体疾患があるのです。「身症とは身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害がみとめられる病態をいう。」と定義されています。
 勿論、診療の現場では、こうして高邁な定義は吹き飛び、ひたすら困っている人(主訴を持った患者)が、次々と心療内科クリニックに訪れる現状です。現状でも精神病院は敷居の高い方が多いですから。
 “鑑別不能型身体表現性障害”をもう少し詳しく見てみましょう。①とても困った身体症状(身体のあちこちの器官系 例えば泌尿器系)で6ヶ月以上苦しみ、社会生活に支障がでている。②身体科で検査を重ねても、原因不明で、従って直らない。③気分障害(ウツ病など)や統合失調症など、他の精神疾患から生じた症状でもない。④詐病ではない。
以上が診断確定のポイントです。特別な検査や説く特異的な所見があるわけでもありません。診断・治療する医師にとっては、考えただけで頭痛のしてきそうな病気です。
 こうして、かなりの身体表現性障害の患者は、医師か医師へ渡り歩き、医療への不信が募る中、病状が悪化し、終には、医療行為(病状説明、環境調整、投薬、手術)で、ここまでこじれたと思わざるを得ない状態に追い込まれていく。
 件の“精神障害の臨床”は、こうした事態に陥らないように、警告を発しているのです。
そもそもどう考えたらいいのか?
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:24Comments(0)診療の徒然に

2008年09月19日

◆医療の現在 精神的なものでしょう 2

 医療においては、何といっても専門性が重視されます。ギリシャ神話での医神アスクレピオスは、超常的な力で病んだ人を治しました。特別な癒し人が超常的な力で、病を癒すという考えは近代医学以前、広く流布していました。近代科学に基礎づけられた近代医学・医療では、超常的な力は専門性に吸収されました。
 専門的な知識・技術を駆使して、病んだ人を鮮やかに治すことこそ一般人が医師に期待するとこだし、医師の自己肯定イメージの原型なのです。
 従って、主訴を携えて訪れた方の問題が専門ではないということは、医師にとって重要な分岐点になります。自分が診ていていいのか。他の専門の医師に紹介すべきなのか。
 そこで原因不明の身体愁訴の方です。勿論、原因不明というのは、結果的に分かることで、最初は身体愁訴、例えば排尿後の下腹部違和感という身体愁訴で、身体科を受診されます。それなりの熱意で、身体科の医師は診断確定に情熱を燃やします。
これも専門性で微妙に異なります。例えば内科の医師であれば、検尿で異常がなく、本人の訴える様子(執拗さのにおい?)や問診からの情報(以前からで、既に他の医師に相談している)で、警戒心が生じるかもしれません。深入りしないで引いた方が賢いといったような。
例えば、最近内科の医師にも認知度が高まってきた身体疾患に、間質性膀胱炎があります。“間質性膀胱炎の場合、通常の抗生物質療法には反応しない。間質性膀胱炎は精神的な障害とは見なされておらず、ストレスに起因するわけでもない。”と書かれています。膀胱鏡の所見がきめ手になります。膀胱鏡は、一般的に泌尿器科の専門医がおこなう検査なので、例えば内科の医師には、確定診断困難な疾患です。
さらに、従来は原因不明の身体愁訴とみなされていた症状が、新しい診断基準の確立で身体科が取り扱うべき疾患として、ポジションを得ることもあります。
 疾患自体膨大にあり、第一線の医師はいつも、最新の医学情報を更新している訳ではありません。医師の職業的習性からも、疾患への知識不足や、疾患の見逃しは、非難さるべきことです。
それやこれやで、身体疾患の究明や、鑑別診断には、多大のエネルギーを傾ける医師達ですが、どうも原因不明の身体愁訴らしいというインプレッションを持つやいなや、はやく立ち去りたいという衝動に突き動かされるのです。患者から見ると医師が豹変したように見える瞬間です。医療スタッフ間で、「あれは不定愁訴だから」、「あれは精神的なものだから」という表現が登場する瞬間でもあります。
前回触れた、“精神障害の臨床”には、「安易な解釈・説明をするな」「安易に身体症状への対症療法(痛みに対して鎮痛剤を処方する)をするな」「安易に環境調整や向精神薬を使うな」ということが列記されています。
下手に原因不明の身体愁訴に係わらないほうがいいよというメッセージのようにも読めます。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:03Comments(0)

2008年09月15日

◆医療の現在 精神的なものでしょう

例えば、中年の女性が、1年前から、臍の下方に、排尿後に違和感を感じると訴えて受診されたとします。勿論、始めて医療機関を訪れたわけではなく、内科、泌尿器科を複数受診されています。尿路感染を疑われ、抗菌薬を飲まれたこともあります。尿意切迫感を鎮める薬の投薬を受けたこともあります。少しやよくなったような気がすることもあるのですが、結局 元の木阿弥。薬で胃があれることも起こり、最近は薬を飲むことも不安です。かといって症状は、消長しながらも持続しており、スッキリよくなりたいという気持ちはいつも持っています。最近、悪化傾向なので、新規の内科クリニックを受診してみたというお話です。聞いているうちに、医師の中にも不安が大きくなってきます。「みたところウツではなさそうだし、これはややこしそうだ。深入りしないようにしないと」
とりあえず、血液検査、尿検査、エコー検査など一般的検査を勧めて、くだんの女性も同意します。案の定検査結果に異常はありません。さてこれからどうするか?

「身体愁訴においてそれに見合うだけの異常を見出せないとき、『ストレス性』、『自律神経失調症』、『心身症』、『精神的なもの』などという用語で安易に解釈したり、患者に説明しないで欲しい」“精神障害の臨床”という日本医師会雑誌の生涯教育シリーズで医学部精神科教授が書いておられます。身体科医師(精神科、心療内科以外の全ての科は身体科といえると思います)にとっては、耳の痛い言葉です。

医師「検査結果は特に異常ないようですよ」
患者「でもオシッコしたあと、お臍の下にカァーと灼熱感が沸きあがってとても苦しいのです。」
医師「でも 検査は異常ないし、専門の泌尿器科でも異常なかったみたいだし」
患者「じゃあ 何故・・・。 精神的なものですか」
医師「でしょうね。 多分」
と医師も追いつめられ。切羽詰って禁句を、間接的に認めることになります。

「精神的なものだろう」、「精神的なものじゃないんですか」この言い方は、身体科の医療現場では、しばしば使われています。
糖尿病内科で、患者さんの病態を医師と看護師で話すとします。
「先生、この患者さんは1日に60単位もインスリン注射をしていますが、Ⅰ型糖尿病なのですか?」「いやじつは、2型だ。それはね・・・」という、専門とする身体病についての会話。
他方「この患者さんは、の頭痛はどこから来るのですか」「神経内科に受診させても異常ないというし、不定愁訴が多いし、多分精神的なものだろう。」「そうですか・・・」という身体愁訴についての会話。

つまり、専門とする身体病に対する取り組みと原因不明の身体愁訴に対する取り組みでは,微妙に真摯さが違うのです。
“精神障害の臨床”には、原因不明の身体愁訴に不適切な説明(例えば、精神的なものでしょう等)をすると治療がむつかしくなる。医師が原因不明の身体愁訴をはやく取ろうと対症療法(例えば痛みに対する鎮痛薬)をするとかへって悪化することもある、向精神薬(抗不安薬や抗ウツ薬)を安易に使うと、薬の副作用が新たな身体愁訴となることもあるとも書いてあります。
 原因不明の身体愁訴は、ややこしいことがあるから、しっかりと気を張って取り組めと強調しているのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:12Comments(0)診療の徒然に

2008年09月13日

◆医療の現在 肥満と痩せ

平成18年6月に医療関連法案が成立。其の内の一つに“高齢者の医療の確保に関する法律”がありました。この法律で、原則として、40歳から74歳までの全国民(被保険者)に特定健診・特定保健指導を実施するのが、保険者の義務となったのです。
かつて、高血圧に焦点を合わせて、減塩をキャンペーンし、薬物療法の普及もあって、降圧→脳卒中の減少→平均寿命の延伸が実現した訳ですが、今回は腹腔内脂肪の蓄積に焦点を合わせています。
 75歳超の後期高齢者を診療していると、殆どの方が血圧への関心と血圧の数値に対する自分なりの判断基準をお持ちなのに、驚嘆します。ごく医学・医療には無縁のごく普通の方の認識と医師の認識のズレが、大筋で少ないのです。高血圧、は突然、血管障害が生ずるまでは、痛くも痒くもない病気ですが、こうした病気にここまで認知が浸透したものだと驚くのです。
さて、今回の特定健診・特定保健指導 いわゆる“メタボ健診”です。現状はメタボという言葉が認知されつつあることは間違いないようです。
街を歩く、オジちゃん オバちゃんもメタボ。医師の講演会の演題もメタボ。メタボの氾濫の中で、着実に認知度は上がっているようです。
 他方、例えばサラリーマンの妻の方に特定健診の受診票が送られてきても「何 これ?」というケースも多いと思います。しかし、法律に義務と書き込まれたことはジリジリ効いてくるのでしょう。
本当に、日本人の腹腔内脂肪が減少し、糖尿病は中核とする代謝性疾患が減少し、血管が長持ちし、結果的に健康寿命の延伸し、人生90年の時代が到来するのでしょうか?
 かつての高血圧対策のように国民を上げてのムーブメントとなり、効果が実証されるのでしょうか。
お互いの腹に眼が行き、職場でも、腹の出た人は、評価が減点され、ということは確実に起こりそうな気がします。
体型(見た目)が健康とリンクし、社会的評価にまで影響を与えると、多元的評価の成熟の阻害要因といて働く恐れもあります。
 生きることの窮屈さも少し増しそうにも思われます。それやこれやで本来の狙いとずれた部分で世の中にかなりの変化を引き起こすのではないかというのが私の予感です。
診療の現場にいる私としては、痩せは場合によっては、肥満以上の深刻な健康問題であるという、診療現場でたまたま遭遇した経験をしっかり踏まえていきたと考えています。
痩せた方がたまたま数人続けて相談に見え、痩せと健康を印象づけられた私の印象は偏ったものかもしれません。しかし実際の診療は、まったく個別な作業です。患者と医師で編み出される1回だけの作業です。
 集団的アプローチ、統計的有意差 これらは全て、一つの医療行為に還元されて始めて意味を持つのです。
  


Posted by 杉謙一 at 06:03Comments(0)診療の徒然に

2008年09月10日

◆医療の現在 痩せと肥満3

1950年頃から、わが国の死因の第一位になった、脳卒中についての、様々な研究が知識として整理され、高血圧と塩分に焦点が絞り込まれました。保健婦さんを先頭とする大々的国民運動で、血圧値への関心が高まり、減塩が降圧に役立つことの認識が拡がりました。
 降圧剤の開発もあいまって日本人の血圧は確実に低下し、実際に1970年代から脳卒中で死亡する人は減り始めたのです。日本人の平均寿命の延びに大きく貢献したというのが定説です。
 一昔前の血圧に相当するのが、腹囲だと言う訳です。本当は腹腔内脂肪の蓄積を評価したいのですが、多数の人を対象とする健診では、簡単に測定できる腹囲で置き換えるしかありません。
 最終的な目標は、血管をもたせることです。
戦後60年間で、人生60年から人生80年の時代に変化した訳ですが、今後人生90年時代に移行する上で、重要なポイントとして血管をもたせるという課題があり、この戦略の鍵が、腹腔内脂肪の蓄積に焦点を合わせることなのです。血圧に焦点を合わせて成果を上げた成功体験が背後にあります。前回は塩分、今回はカロリー(エネルギー)の出納です。
“出”は運動を中核とした身体活動、“納”は日々の摂取カロリーです。
 こうしたストーリーが、具体的に政策として実現されたのが、いわゆるメタボ健診 正確には特定健診・特定保健指導です。
 これが、実現するにはいくつかの前段階がありました。ひとつは医療費の問題です。医療費の伸びを抑える時、予防に力点を置くという論点がありました。重症化し、後遺障害の状態に至った人に長期的に医療費を使うのではなく、其の前段階で予防しようという正論です。
 もう一つは西暦2000年から始まった“健康21”の、成果がもう一つだったという反省です。ご存知のように、健康21は、行政主導の健康づくり対策です。“栄養・食生活”、“運動・身体活動”、“休養・こころの健康”などに焦点を合わせて、生活習慣を改善し、健康寿命を延伸しようというキャンペーンでもありました。
 従来の健康づくり対策と違って、10年後の数値目標を定めました。それを中間点で評価してみると、成人男性の肥満者の割合は減るどころかむしろ増加していることが、判明し、これは何だ!という話になった訳です。そこだ、従来の健診は検査が主役で後の保健指導はつけたりであったと反省し、健診は保健指導の該当者を抽出するための作業だと主客が逆転しました。
 三つめは、健康問題についてのサービス提供の問題です。医療は健康を障害された人を“患者”として認知し、主訴―問診―診察―検査―診断―治療という確立された、流れで対応します。しかし、将来の血管障害の予防を目指した生活習慣の改善運動は伝統的医療の流れでは、うまくいかないではないかと思われます。
血圧と減塩の時も保健婦さんの活躍が大きかったのです。
最近、ヘルスコミュニケーションという言葉が広く使われていますが、生活習慣の振り返りー行動変容―腹腔内脂肪の減少 というプロセスを支援するという作業は、まさしくヘルスコミュニケーションの問題で、現在の医療には苦手かもしれません。
他の要因もあるでしょうが、とにかく様々な力が合成されて、保険者の義務として、被保険者に特定健診・特定保健指導が課せられたのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:29Comments(0)診療の徒然に

2008年09月08日

◆医療の現在 痩せと肥満 2

 前回BMIのことを書きましたが、肥満を医学的に定義すれば、体脂肪が多いことであるというのはご存知だと思います。肥満が外観の問題から健康問題に変わりつつある頃、イムプレッシブな情報に遭遇しました。ウェストとヒップの比率が、BMI 以上に健康と関連が深いというのです。女性は0.8→0.9 男性は0.9→1.0 あたりが境目だといいます。ウェスト/ヒップ比の高低で、リンゴ型肥満、洋ナシ型肥満というネーミングも流布しました。お腹のでっぷりした女性は、見栄えがよくないというのは、女性の方々が気にしていたことですが、男性は貫禄があるというポジティブイメージだったのが、急速に変わりました。
 また、高いウェス/ヒップ比は、女性の体型の魅力を減じるものですが、それが健康にも悪いというのでは、リンゴ型肥満の女性は立つ瀬がないという話でもあります。
 他方、医学的研究の進展で、脂肪組織の研究や内臓脂肪と皮下脂肪の相違についての知識が急速に増えました。従来、脂肪組織は、余分なエネルギーを蓄積し、飢餓の時に貯蔵された中性脂肪を取り壊して、エネルギー源にするという役割即ち単純なエネルギーの貯蔵庫であると考えられていました。皮下脂肪はそうした理解で良いが、腹腔の脂肪組織(内臓脂肪)はなかなかの曲者で、エネルギーの貯蔵というより、様々な生理活性物資を産生し、代謝に影響を与え、ひいては将来の健康問題にも甚大な影響を及ぼすだろうという話になってきました。
 特に、現代人にとって、ガンと並ぶ健康問題である、血管障害は腹腔脂肪量と関係が深いという訳です。因みに、“代謝”とは、“メタボリズム”の日本語訳ですが、最近流行語にのし上がった“メタボ”が“メタボリズム”の略語であるのはご存知の通りです。
 CTスキャナーで腹腔脂肪の測定データも蓄積されてきました。
たくさんの人に片端からCTスキャナーを実施し、腹腔脂肪を測定するのは、実際的ではないので、臍周囲(ウェストではない)とCTスキャナーによる腹腔脂肪(精確には臍の位置での腹腔脂肪の面積)との相関が作られ、臍周囲が将来の血管障害の指標になるのだということになったのです。
 こうして、体重→BMI→ウェストヒップ比→腹腔脂肪の蓄積 と焦点が絞り込まれ、実際には、臍周囲の計測で、その方の血管の予後、ひいては健康の予後が予測できる、従って保健指導によって、予後の改善も可能になるという話になったのです。
男性85cm 女性90cm で、明暗を分けることになった由縁です。
こうした問題については、わが国では、成功体験があります。血圧の問題です。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:47Comments(0)診療の徒然に

2008年09月06日

◆医療の現在 痩せと肥満 1

最近、痩せた方が相次いで、相談に見えたので診療の徒然に色んなことを考えました。
来られた皆さんの困りごと(主訴)は、どの方も痩せではない。痩せられた原因は、皆さん共通して、食事量が少ないこと。少ない原因は、お一人、お一人違うという次第です。
 まず思ったのは、最近の肥満が諸悪の根源という風潮は、やや偏っているのではないかということです。ご存知のように、痩せているとか太っているとかいうのは身長と体重のバランスの問題です。最近、標準的な指標として一般化したのがBMIです。
 BMIは、体重(kg)÷{身長(m)×身長(m)}という計算式で出します。暗算ではちょっときつい計算です。BMI 22 が理想的だとされており、25以上が肥満 18.5以下が痩せとされています。
 最近、相次いで相談に見えた方はいずれも BMI 14前後の極度の痩せの方達だったのでイムプレッシブだったのです。
 先ず直感的に思ったのは、太っているのは、痩せているより健康的ではないかということです。
 肥満と健康については、大阪大学名誉教授松沢佑次先生が第一人者ですが、10年以上前、先生の肥満についての講演を拝聴した際、天平美人絵のスライド講演が始まったのを思い出しました。豊満な天平の美人は健康美を具現しているように見えました。
 BMI 22 が理想的だとされる所以は、生活習慣病を持つ人の率が最も少ないということのようです。
 健康問題とは、いかに死亡率が下がるかだと、簡明に考えますと、例えば、生命保険会社のデータがあります。
男性では、BMI 24前後の人の死亡率が一番、低いそうです。身長170cmだと、70kg弱の人が一番死ににくいということです。最近では、高齢社会なので、生活の質も問題とされ、健康寿命という言葉も流布してきたので、話が複雑になりましたが。保険会社のデータでは、BMI が18.5を切ると死亡率が急上昇しています。
 BMI が 18を切っている私としては、楽しくない情報ですが。
 皆さん方の身近で、長寿で元気な方を思い浮かべて欲しいのですが、小柄で小太りな方が多くないでしょうか?
 ただこうした方々は、昭和以前に生まれているので、例えば50年後の、長寿で元気なお年寄りがどんなイメージなのかは不明です。大量に国際結婚するようになれば別ですが、平均的な日本人の遺伝的素因は不変でしょう。しかしライフスタイルが劇的に変化しています。食生活の変化、身体活動の減少、ストレスの増加がしばしば指摘されています。
1970年代前半が、時代の転回点だという説もありますが、その頃生まれた人々が、80歳を越すのが約40年後ということになりますが。
 ただ、最近は小太り派にも厳しいご時世で、肥満は健康の敵という風潮です。従来、痩せと肥満は外観の問題だったのですが、この問題が、健康との関係で注目され、様々の情報が蓄積されてきました。
 因みに日本肥満学会は1984年に開催されています。1990年頃から、肥満と健康についての医学的議論が活発になりました。丁度 この頃から糖尿病患者が増え始め、その背後には肥満があるという話になってきました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:05Comments(0)診療の徒然に

2008年09月03日

◆医療の現在 不整脈3

心房細動は年令とともに増えていく不整脈です。心房はピクピクと痙攣しているのですが刺激伝導系の重要部分である房室結節が、ピクピクの刺激を“たまに選んで”心室へ伝えてくれるので、心室は、しっかり血液を送り出せるというのは前回書いた通りです。
心房細動は様々な意味で、今風の不整脈です。どこが今風なのか?

①加齢とともに増えていくので、日本のような超高齢社会ではありふれた不整脈となる。
②心房細動が生じても自然に整脈に戻って直るという幸運な方もあるが、自分の治癒力だけでは戻らなくなり、抗不整脈薬を飲むと整脈に戻るという段階になり、更に薬を飲んでも戻らないという段階に進んでいく。つまり病気が重くなる方が多いが、これは加齢とともに進行していく。
③不整脈が最初の問題だが、実は心房でできた血の塊(血栓)が、血管の中を飛んでいって脳を始とする臓器を障害する(例えば脳塞栓症)ことが本当の問題である。敵は本能寺にあるというような話で、糖尿病は高血糖が最初の問題だが、実は血管が痛んで臓器が障害されることが本当の問題であるというのとよく似ている。
④心房細動を整脈には戻せないことが、はっきりしてくると、血の塊の形成を抑えて、臓器障害を防止するのが治療目標になる。
⑤ワーファリンという血液が凝固するのを妨げる薬があるが、逆に言えば、出血の危険もあり、また定期的に服用して、意味のある薬で、一生飲み続けなければならない。
⑥加齢とともに、薬の管理が困難になり、歯の治療、小手術等で、出血を伴う医療行為を受けることが多くなるので、ワーファリンを飲んでいると事態が複雑になる。(飲むべきか飲まざるべきか)
⑦他方高齢になるほど、血の塊ができやすくなるので、治療の意義は増加する。(ワーファリンを飲むと得する確率が増える)

以上のように、心房細動と共存しつつ、年令を重ねていくと、次第に板ばさみ状態に追い込まれます。
心房細動は動悸として自覚症されますが、当初は、強い自覚症状が出て、動悸が主な困りごと(主訴)になるが、次第に自覚症状がなくなっていく方と、心臓の拍動についていつも注意を払って、それがストレスになる方に分かれていくそうです。
「心房細動の管理のむずかしさの一つは自覚症状が当てにできないことである。患者自身が再発したと訴えることが多いが、まずこれを当てにしてはならない」
ある教科書からの引用です。
病気と治療の絡みの中で、患者にとっても医師にとってもストレスになう“心房細動”
今風の不整脈と書いた所以です。
  


Posted by 杉謙一 at 06:12Comments(0)診療の徒然に

2008年09月01日

◆医療の現在 不整脈2

心室細動と対照的な不死脈に心室性期外収縮という不整脈があります。特殊なものを除いて、大部分の心室性期外収縮は、悪さをしないので放置しておいて良いとされています。 これは、心室がまだ時期がきていないのに収縮してしまうので期外収縮とネーミングされています。
ご存知のように心臓は4つの腔からできています。左房―左室―右房―右室の4腔ですが、この順序で、血液が流れます。順序通りに流れることが正常な心機能を維持する上でのポイントです。心臓の収縮の指令も上から下に秩序正しく伝達されるのが本来の姿です。     
この伝達系を刺激伝導系と呼んでいますが、胴房結節―房室結節―ヒス束と刺激が伝って いきます。そもそも・・・ と医学の立場からの解説が続いていくのですが、不整脈で困っている方の立場からは、「時々 動悸がしてとても気分が悪いし、不安のもなるんだけどどうかしてもらえませんか」という話です。
 普通に診察して、心電図検査で、動悸の正体が心室性期外収縮であることが判明して、悪さをしない心室性期外収縮であることが判明し、患者さんも得心し、見事 一件落着する、つまりその後は、動悸が生じても「これは無害性期外収縮だな」と呟いてやり過ごせるということです。これは、病気を観察して構築された医学的知と生身のヒトの病気体験が、つまりオリジンが一つだったものが別途を歩むうちに遠く離れたものが、具体的経験(動悸の自覚)を契機として融合したという話で、ここに臨床医療の醍醐味があります。また医学もこうした成功事例で最終的に社会的意義を立証するのだと思います。
最近、高齢者の増加とともに増え、臨床的にも問題な不整脈の一つに心房細動があります。“細動”は心室細動の細動ですから、直ちに死に直結するかと言うとそうではありません。
ピクピクと痙攣した状態は、一緒ですが、心室ではなく心房なのが救いです。刺激伝導系の重要部分である房室結節が、ピクピクの刺激を“たまに選んで”心室へ伝えてくれるので、心室は、しっかり血液を送り出せるのです。ご存知のように左右の心房が収縮した後に左右の心室が収縮して、全身(左室)と肺(右室)に血液を打ち出すので、同じ細動でも心房と心室では、深刻さが違うのです。但し“たまに選んで”というのが、規則的ではないので、結果的に脈は不規則に打つことになります。
 期外収縮はたまに脈が飛ぶのですが、心房細動の不整脈はバラバラに打つので絶対性不整脈と呼ばれます。脈がバラバラに打つのでさぞかし、当事者は動悸でキツイだろうと思いますが、慢性化するとまったく動悸を感じなくなる方が多いのです。でも考えて見ると心臓が拍動するたびに70ml前後の血液(ヒトの全血液の1割以上)が打ち出されているにもかかわらず殆どのヒトが動悸を感じることはない訳で、同じことが繰り返されて慣れれば大抵のことは、苦痛でなくなるのかもしれません。
次回は心房細動についてもう少し書きます。
  


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