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2008年04月13日

◆医療の現在

開業して2週間。漸く“慣れてきた”という表現が遠い向こうにちらつき始めたという感じ。同じことの繰り返しとか平凡な日常とか はたまたデューティー(duty)とか普通は無意識の裡に価値の低い意を込めて使用していたような気がします。しかし今回 “業”を立ち上げるための悪戦苦闘を経験していると、ルーティーンワークの価値 その有難さを痛感します。毎日何気なく営まれている業務は、たくさんの経験の上に築かれた貴重な遺産なのだと。そこに起こる非日常的な事件につい目がいってしまうが、それは忽ち過ぎ去る一過性の出来事に過ぎないのだと思います。例えるとスパイスのようなものでいくら胡椒の好きな人でも胡椒を食べる訳にはいかない。
話は飛びますが、以前から気になっていることの一つに「運動」と「身体活動」という用語の対比があります。最近は運動ではなく身体活動が強調されるようになりました。運動は非日常的な出来事 身体活動はルーティーンワーク。そして実測してみると運動より身体活動の方が多くのエネルギーを消費するという事実。
他方、慣れている日常の中には、たくさんのムダ ムリ ムラが放置されていると改革者達は提言します。例えば経営コンサル。
このあたりは生活習慣(日常)と行動変容(改革)の問題に繋がってくるので生活習慣病にどう取り組むかを考える私にも切実な問題です。
ところで私と言えば、朝仕事に出かけるのに、2回に1回はポケットにハンカチを入れるのを忘れて出るという具合で、著しく日常の躾ができてない人間なのです。こうした人間が次々と生起する非日常をルーティーンワーク化して業を立ち上げようというのだから疲れるのも無理ないよなと最後は自分を慰めることにします。
  


Posted by 杉謙一 at 05:11Comments(0)時々刻々

2008年04月11日

◆医療の現在

週1回は以前勤務していた病院で外来診療をしています。その日はたくさんの患者さんが来院される。以前週3日診療していたのが週1回になったのだから当然といえば当然。肝腎(自分にとって)の新規クリニックの方は滅多に患者さんが見えません。このギャップ!
白衣を着て、聴診器をぶら下げ、診察室に座っている光景はまったく同じだが、内実はまったく異なる。言わば二つの世界を往還している感じ。随分色んなことが見えてきます。

週1回の病院では、すべてがセットされていて、医師として診療だけすれば良いという世界。
他方クリニックでは受付で患者さんの気配を感じた時から、緊張の時間が始まる。やっと来てもらえたという喜びとか、ホットした気持ちとか、受付はうまくいくだろうか? 動線は? 採血は? 電子カルテはうまく動くだろうか? などなど 様々な考えと感情が入り混じった複雑な緊張。
週1回の病院では、何気なく一人の患者さんの診療が終わってしまう。
他方クリニックでは、青息吐息で会計まで済ませてもらい「お大事に」の言葉を背に出て行かれてホッという世界。
例えば田中太郎さんという患者さんが従来は以前の病院に見えていて、クリニックに変われたとして田中さんにはどう感受されるのだろう。診療側の変化が。何気ない診療と緊張に満ちた診療。ベテラン医師の診療と研修医の汗水垂らしながらの診療。どちらが治療効果をあげるのか? という以前から気になって疑問にも通じるな。そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろうと焦る自分もあります。

 結果的に診療による疲労を比較すると圧倒的にクリニックの診療でした。
  


Posted by 杉謙一 at 06:23Comments(0)時々刻々

2008年04月09日

◆医療の現在

4月1日にオープンして、あっというまの嵐のような1週間。といっても患者さんは滅多にきてくれない。業者の人々の訪問。様々な不具合。必要書類がみあたらない。スタッフの動線の混乱など、神経は磨り減るが肝腎の診療はたまにある程度と、精神衛生上よくないころばかり。自分の身体内部を想像するにストレッサーに対して神経・内分泌・免疫系がフルに稼動してこれが続くと疲弊していく予感がして不安もよぎる。
まあこれが、リスクを負うということの意味なんだろうなとブツブツ。
ところで、たまにあき時間ができると、頭をよぎるのは“宣伝 広告”といった言葉です。宣伝、広告の一番直裁なイメージは、店の前でビラを配るといった光景です。そして、これは医療が厳に戒めてきたイメージでもあります。
「広告・宣伝して顧客を誘引することは、医師の品位を害するもの」されてきました。
“誘引”か・・。奥の深い言葉。
じっと待っている。患者さん訪れる。「どうされましたか?」と問う。確かにこれが医療の原型のような気が改めてしてきた。多分 こうした受動的アプローチから治療関係が始まるからなのだろう。とういか逆に治療関係を作る上で、医師の受動的アプローチは大切な要素の一つなのだろう。
医療というものが少し分かってきた気がする。こう思うと少し心も安らぎ、身体の内部環境も変化するようだ。
話は飛ぶが、今回の特定健診・保健指導(いわゆるメタボ健診)は、積極的アプローチの最たるものかもしれません。強引に臍周りを測定して、積極的に支援して、“食べる”というもっともプライベートな部分を“変容”させようというのだから。
これはいわゆる“ポピュレーションアプローチ”から出てきているアイデアなのですね。
医療の原点はインディビヂュアルアプローチ(一人に焦点を合わせたアプローチ)。
医療畑の人間が特定健診・保健指導に違和感を感じる理由の一つかもしれません。
  


Posted by 杉謙一 at 07:31Comments(0)時々刻々