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2009年11月29日

◆医療の現在 食事慮法 あれこれ 10

日本の医師は、食餌の問題 病気治療における食餌療法の意義について、認識が乏しいとよく言われていました。
糖尿病の治療などを中心として、最近の若い医師は、変わりつつあるのかもしれませんが。

“メルクマニュアル”という、コンパクトながら100年間の歴史を持つ総合的な医学教科書があります。
その17版(1999年発行)の目次を見ると、最初に“栄養”の記載があります。
「栄養とは、食物ならびに食物と健康に関係についての科学である」と。
医学を網羅する時、栄養が基本であると宣言しているのです。
日本の医師の感覚では、病名・診断・検査が、最初に頭に浮かぶという傾向があります。

現在の日本の医療では、病名と食事療法がひも付きになっています。
糖尿病―糖尿病食  高血圧―高血圧食 などのように。
食事・栄養の立場からは、エネルギーとか、蛋白質とか、食塩で、食事を組み立てるという考えになります。
例えば、60才の男性がいます。糖尿病です。
身長160cm 体重60kg で 空腹時血糖140mg/dlで、教育入院してきたとします。
今の医療の仕組み(法律上の)では、“医師の指示に基づいて” 管理栄養士が食事の栄養素を計算して、具体的なメニュー作成に到るわけです。
その時、「エネルギー:1600kcal、炭水化物:240g 蛋白質:69g 脂質:37.5g 食塩:10g 」
というように、エネルギー(カロリー)と栄養素で指示するのが、本来の形です。近代西洋医学の栄養学の立場からは。
これを、“栄養成分別食事管理”というそうです。
しかし、実際には 糖尿病食 1600 kcal と 病名を頭に据えて医師は 指示します。
病名と食事療法がひも付きになっているのです。
何故?
話は、昭和11年(1936年)、東京大学病院の厨房に飛びます。特別治療室が設置され、食事療法が、始めて実用段階になった時代です。
  


Posted by 杉謙一 at 06:29Comments(0)診療の徒然に

2009年11月28日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 9

300年の鎖国が、続いた後、閉ざされた宇宙で、それなりの社会・文化・暮らし方が成熟した後、明治維新で、西欧を中心とした異質な世界と交流する過程で、様々な外傷的体験に遭遇した日本。 
食についても、西欧化のベクトルとそれへの反動のベクトルが、底流にあって、反動のひとつとしてマクロビオティックスがあったように思います。
病気の治療に食餌療法を利用するという考えは、どの医療体系にもあります。
医療体系という言葉を使いましたが、近代医学(現在 大部分の医療機関で、実践されている通常医療)とそれ以外の医療 すなわち 補完・代替・伝統医療の、両方を視野に医療体系という言葉を使っています。
考えてみると、江戸時代は、漢方が主流の医学・医療でした。
杉田玄白等が、オランダ語の「ターヘル・アナトミア」を日本語に翻訳し、「解体新書」として出版したのは、1774年でした。
明治維新の約100年前です。当時は、漢方が主流で、蘭方と呼ばれた西洋医学が傍流であったと思われます。
1868年に明治の時代が始るのですが、1885年に「医術開業試験規則」が断行され、西洋・近代医学を修めたものに、医師免許を与えることに変換されたのです。
社会の激変と呼応して医学・医療も激変したわけですが、従来の養生法も、伏流としては、密かに、伝えられても、公の医学・医療の場では、無視される傾向にありました。
その中で、医療の中での食事療法の位置はどうだったのでしょうか。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:21Comments(0)診療の徒然に

2009年11月25日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 8

マクロビオティックスについては、実践しておられる方も多いと思いますが、要点のみ自分なりにまとめてみます。

玄米や全粒粉の小麦製品を主食とします。
副食は、野菜、穀物、豆類などの農産物、海草類を原則とします。
原則として、肉類や卵、乳製品は食べません。
砂糖を使用しません。
にがりを含んだ自然塩なら減塩は不要。
なるべく近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べものを食べるのが望ましい。
皮や根も捨てずに用いて、一つの食品は丸ごと摂取することが望ましい。
食品のアクも取り除かない。
食品を「陰性」「中庸」「陽性」に分類することを追求した。

“近代化”という言葉がある時期よく使われました。時代の指針でした。
明治維新と太平洋戦争後という二つの核があります。“近代化”への強い拍車のかかった時期です。
食べることについての“近代化”は“欧米化”とほぼ同義でした。
牛乳を飲まないから日本人は頭が劣る、肉をもっと食べないと、蛋白質が足りないよ。

1)マクロビオティックスは、こうした 食生活における近代化 欧米化と逆のベクトルです。
2)マクロビオティックスは要素に分析してしまうことへの抵抗があります。食物を栄養素に還元することへの抵抗です。例えば、丸ごと食べるとか
3)マクロビオティックスのもう一つの特徴は、食についての、一種の形而上学を背景に持つことです。
食品を「陰性」「中庸」「陽性」に分類するとか、近くのもの季節のものを食べるとか。

こうしたマクロビオティックス的な考えは、現在もあちこちにあります。
信仰に近い原理主義的なものから、地産地消とか一汁三菜とか ごく 日常化されたものまで。
次回、もう少し考えてみます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:45Comments(0)診療の徒然に

2009年11月24日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 7

突然、話が転換します。
「お前は、理想を云々するが、そんな夢みたいなことを言って どうして食っていくつもりなんだ」
こうした言い方を親が子供にしていた時代がありました。
貧しい時代です。
どうして暮らしていくかが、どうして餓えずに済むかと 同じことを意味していた時代。
こうした時代が一転して、モノがありあまる時代に急激に変わってきた日本。
生きていくキツサはむしろ増幅しているのかもしれませんが。
こうした変化は、実は、ごくごく最近生じたものです、せいぜい30年前。

もう少し、時代を遡ると、「食養生」の世界が、あります。
「食養生」に起源を持つ、玄米菜食を基本とする“マクロビオティックス”は、現代でもかなりの影響力を持っています。
桜沢如一によって提唱されました。

桜沢如一は、明治26年に生まれました。自身が病身で、石塚左玄の主宰していた「食養生」で、健康を回復したことから、この世界に目覚めました。
36歳の時、渡欧して、ヨーロッパで、東洋思想の紹介をして、有名になり、44歳の時、日本に帰国し、「食物だけで病気の癒る・新食養療法」は、昭和の初めの当時、300版を重ねる大ベストセラーになったそうです。
明治維新以降、急速に欧米化した、反動が強く出てきた時代です。
食事についても、以前の伝統食を改めて評価しようとする“マクロビオティックス”に多くの人が惹かれたのです。
ヨーロッパで、名をなし、日本に凱旋して、影響力を発揮するというパターンです。

では、“マクロビオティックス”とは どんなものなのでしょう。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:36Comments(0)診療の徒然に

2009年11月21日

◆医療の現在 食事療法あれこれ 7

一方で食べ物が満ち溢れ、他方で、身体を動かす必要を最小化する仕組みが組み込まれた(車、エレベーター リモコン等など)現代を生きる私達は、肥満(体脂肪の蓄積)への脅威に曝されています。
旨いものを心ゆくまで喰らうことがしにくくなる。
どうするか?

素朴な断定。「腹八分にして、せっせと歩けばいいだけのこと」
これでは、身も蓋もない。
医学的結論、「エネルギー制限とバランスの取れた食事」
とっつきにくい、具体的に何を どう食べたらいいの?

ここで、さまざまな 食事療法が、説かれます。
肥満とは、エネルギーの入りが出を 上回り、余分なエネルギーが脂肪として、蓄積することである。
従って、入りを制し、出を増やすことで、蓄積された脂肪が燃え 結果的に痩せる
このことに異論は、ないと思います。

しかし、他方、ヒトが欲望する存在であるということがむつかしい。
旨いものを心ゆくまで喰らという欲望に、拮抗する力の発動。
「博多あれこれ」のダイエット法も、拮抗する力を喚起する工夫かもしれません。
半飢餓の日々を、乗り切る力。
食事療法は、時に,原理主義に走ります。
厳格に細かく制限を課して、逸脱を非難する、遂には 信仰の世界に近づくことさえあります。
エネルギー制限とか、単純糖質を中心とした炭水化物の制限とかそれなりなに科学的な理屈から生じても、それを日々の食生活で実践するという“無理”に直面した時、科学的な理屈とは、別の原理が要請されます。
「科学的に正しいから実践する」から「正しくなくてもいや正しくないから実践するのだ」という信の世界の原理? 不合理故に吾信ず・・。
「博多あれこれ」のダイエット法も炭水化物制限については、それなりに厳格です。
根菜類も禁止の食品として指定されてます。

ただ これを書いた女性クリエーターは、原理主義からは程遠い印象です。
便宜的に道具の一つとして、このダイエット法を 割り切って 使うという感覚のようです。
信の世界から解放された、軽やかな現代人という感じです。
「でも・・・」と旧世代の私は呟きます。「それですむのかな?」
  


Posted by 杉謙一 at 06:20Comments(0)診療の徒然に

2009年11月18日

◆医療の現在 食事療法あれこれ 6

充分な空腹感を感じていたので早速、箸を取ります。
チャンポンは野菜、豚肉、甲殻類などが、表面を覆っています。特に野菜は盛りだくさんです。しばし、ダシの効いたスープの沁み込んだ沢山の野菜や所々にある、肉、甲殻類を味わいます。時にスープも飲みます。
少し、空腹感が癒されると、また「博多あれこれ」のダイエットのことが浮かんできます。勿論 箸を動かしながら。
盛りだくさんの具が、減ってくると、チャンポン緬が姿を現します。やはりチャンポンの主役と呼ぶに相応しいと独言つ、私。
この緬を一切 食べないと 件のダイエットに近づくのだが。
「俺には、炭水化物 ゼロの と言う食事療法の方が辛いな。全体の量を少なくというエンルギー制限の食事療法の方が、まだできそうだ。」と心中で呟きます。
“私のダイエット法”を書いた女性クリエーターは、これを長期に続けているのではないようです。2-3週間 続けて、急速な体重減少、身体が吹き締まることを確認した後、いつもの食事に戻し、またブヨブヨかと感じた時は、数日し実行する とか、適当に利用しているとのことです。
これだと 多分 安全なのでしょう。

医療機関で絶食療法というのもおこなわれることがあるそうですが、安全管理のため、詳細な手順と、それをする意義についてのカウンセリングが 必須のようです。
女性クリエーターは、自分な感覚で、危険を避けているのでしょう。

具と緬を交互に口に入れて、両方を一緒に味わうと、満足感があります。時にスープを啜ります。至福の時です。
チャンポンを食べることも終盤に入ってきました。

再び、考えが渦巻いてきます。
旨いものを心ゆくまで喰らう、ヒトの欲求が実現されている姿です。
この自然な、姿で、留まれない ややこしさ。
ある場合は、病気に対する食事療法 ある場合はダイエット ある場合は健康への渇望
いずれにしても、旨いものを心ゆくまで喰らうという世界から、ヒトは迷い出すのです。
  


Posted by 杉謙一 at 07:07Comments(0)診療の徒然に

2009年11月17日

◆医療の現在 食事療法あれこれ 5

ここで、どうしても脳細胞の問題が登場します。
脳細胞は、基本的にブドウ糖しか、利用しないのだそうです。脂肪酸は利用しない。
しかも1日に100gを遥かにに超えるブドウ糖を必要とするとのこと。
脳細胞が、生きていくためには、血液中に一定のブドウ糖が溶け込んでいることが必須なのです。
これをブドウ糖の濃度→血糖値と呼んでいます。
血糖値70mg/dl以下は “低血糖”とされています。
“低血糖症”とも言い、病的状態なのです。この時点では、まだ 脳細胞はけなげに頑張っていますが、血糖値30mg/dlになってくると、意識がモーローとして、殆どのヒトが昏睡状態に陥ると言われます。
つまり、ヒトにとって、血糖値を70mg/dl以上に維持しておくのは、生きる上での必須事項なのです。一定の血圧を維持しておくのが、必須事項であるように。

従って、身体としては、体脂肪や体蛋白質を取り崩して、代謝系をフル回転して、必死でブドウ糖を作る(糖新生)ことを強いられるのです。
結果的に体脂肪が減るのは、本来の狙い通り。体蛋白質 即ち 筋肉が減るのは、筋トレで食い止めようということでしょう。

私の想像では、身体は悲鳴を上げているのではないか。
このダイエットを実践している方は、体重計の針や引き絞った自分の風貌を見て、ニッコリしたとしても。

ようやくチャンポンが来ました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:54Comments(0)診療の徒然に

2009年11月11日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 4

水だけ飲む。カロリー源となる食物は、身体に入れない。
これが、飢餓状態の典型です。
「博多あれこれ」のダイエット法は、この典型に、蛋白質のみを身体に入れてやり、そこそこの筋トレを加えたということのようです。

まず飢餓状態の時、身体に生じる事態を考えてみます。
炭水化物を摂取した後、血液中のブドウ糖濃度は上昇します。つまり、ヒトの細胞は、エネルギー源としてのブドウ糖を充分に供給されているのです。
他方、脂肪が分解されて生じる脂肪酸もまたエネルギー源になります。ブドウ糖と脂肪酸の両方が細胞のエネルギー源として使われるのです。
その比率は、供給の状態や身体の動かし方など 絶えず変化しているそうです。
飢餓状態では、食事由来のブドウ糖と脂肪酸の供給が、止まる訳です。
どうなるか? 
貯金を取り崩すのです。貯金は2種類。
一つはブドウ糖が連なったグリコーゲン。筋肉と肝臓に、合わせて300g程度 蓄えられているそうです。
もう一つ体脂肪。体重60kg 体脂肪率30%のヒトだと18kgの体脂肪が蓄えられている計算になります。
両者を比較すると、gとkgですから、桁が違うのです。

因みに カロリーに換算すると グリコーゲンは、300×4=1200kcal 体脂肪は18,000×9=162,000 kcal という 違いです。
飢餓状態だと グリコーゲンは、忽ち 枯渇します。
ヒトは、ひたすら臥床していても、1400 kcal 消費するのですから。
ヒトの細胞が生命活動を維持するための必要経費です。

かくして ブドウ糖の供給が、危機に瀕する事態。
体脂肪からできる脂肪酸は充分あるから、専ら脂肪酸を使えばいいじゃないか。体脂肪も減るし。
そうでしょうか。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:20Comments(1)診療の徒然に

2009年11月10日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 3

「3大栄養素というものがあります。エネルギーのもとになる炭水化物/脂肪 身体のもとになる蛋白質。これに加えて、エネルギーはないが、代謝の潤滑油になるビタミン・ミネラル これらをバランスよく取るのが、健康的な食生活の基本です。」
小学生の頃習う栄養についての手ほどきです。
この原則と比較すると、「博多あれこれ」のダイエット法は、随分偏っています。
3大栄養素のうち、蛋白質だけを摂取しようというのですから。

3大栄養素のエネルギー(カロリー)とは、
炭水化物:1g=4kcal 脂肪:1g=9kcal  蛋白質:1g=4kcal  です。
蛋白質のみを摂取すると、身体の細胞は、必死で糖を作ろうとします。ブドウ糖を燃やすのが、細胞がエネルギーを獲得する、最もスムースな経路ですから。
エネルギーの素になるのはアデノシン三リン酸(ATP)という物質ですが、1個のブドウ糖が、最後まで分解すると40個以上のATPが生産できるとのことです。
蛋白質は直接ATPを作れないので、1回 アミノ酸まで分解され、窒素を抜かれて、ブドウ糖に作り変えられ(糖新生)、漸く エネルギー源になるのです。
とにかくエネルギー源としての蛋白質は、計算上の数値の70%という効率の悪さなのです。
(特異動的作用)
例えば、「博多あれこれ」のダイエット法の勧める白身魚のタイを例にあげます。
塩焼きにして、100g食べたとすると、約20gの蛋白質を摂ったことになりますが、カロリー的には、20×4=80kcal となるのか。
そうではないのです、その“七掛け”すなわち56 kcalという効率の悪さなのです・・・エネルギー源としては。
つまり 身体としては、まともなエネルギー源(炭水化物・脂肪)が、供給されない状態に追い込まれているわけです。

「一種の飢餓状態だな」
なかなか チャンポンが来ないので、空腹感の強まった自分の状態と重ね合わせて呟きました。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:40Comments(0)診療の徒然に

2009年11月09日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 2

“食事療法”というのは、本当に 多種多様です。
糖尿病を診療している医師としては、いつも気になっている問題です。
巷間に流布している様々な“食事療法”について、詳しいとは言えない私ですが、「博多あれこれ」のダイエット法が、一時流行った“低インスリンダイエット”や“糖質制限食”の亜型であることは直感しました。

“低インスリンダイエット”などの“食事療法”は、炭水化物(糖質)を とことん排除することが、ポイントだったと思います。

血糖を調節上昇させるのは、とりあえずは、炭水化物(特に単純糖質)だから、そこを制限すれば、とりあえずは 食後の血糖上昇は、改善するということから、糖尿病の方にも、糖質(炭水化物)を制限する食事は、魅力的に感受されました。

「博多あれこれ」のダイエット法は、炭水化物制限に脂肪制限を加えたのがミソのようです。
他方では、某ドリンク剤のように、アミノ酸の効果を謳うものがあります。蛋白質は、最終的にアミノ酸に消化されて吸収されます。
炭水化物・脂肪→体脂肪の素 蛋白質→筋肉の素
炭水化物・脂肪を制限して、蛋白質を中心に取れば、ブヨブヨ体質が筋肉体質に一変し、筋肉トレーニングまで加えれば、鬼に金棒というノリのようです。
でも ちょっとヘンだよね 感じ、チャンポンがまだ来ないので、ヘンを整理してみることにしました。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:39Comments(0)診療の徒然に

2009年11月07日

◆医療の現在 食事療法 あれこれ 1

昼の天神です。
とある飲食店で、チャンポンを頼み、ふとテーブルを見ると、「博多あれこれ」というタウン情報誌がおいてあります。
チャンポンができるまでの時間潰しに、パラパラ 頁をめくっていると “私のダイエット法”と題した短文が目に付きました。福岡では 名の知れたクリエーターとのこと、女性です。
3ヶ月と言う期間限定のダイエットですが、とても効果があって、ブヨブヨ体質から筋肉体質に一変したそうです。
①炭水化物や糖質は、厳重に制限する。ご飯、パン、麺類、果物、砂糖 さらに芋・根菜の類まで。葉菜類は許可されるそうです。
②脂肪も厳しく制限するそうです。ばら肉、揚げ物、青魚、ピーナツの類は全て禁。白身の魚、赤身肉、エビの類を、煮る/焼く/蒸す で調理することになるのでしょう。
③そこそこの筋トレをこなすのだそうです。
以上3点を遵守すると、劇的に効果が上がり、短期間で、ブヨブヨ体質が筋肉体質に一変し、件の女子クリエーターの周囲では 最新の人気ダイエットなのだそうです。

「結構 過激な 食事療法だな」というのが、第一印象です。
「しかし、これって やはり 偏った食事だな。3ヶ月という期間限定がミソか。
でも、原理主義に突き進む傾向のある人には、ちょっと危険だよね」が次に訪れた考えです。
次回に続きます。

  


Posted by 杉謙一 at 06:56Comments(0)診療の徒然に

2009年11月05日

◆医療の現在 生きていく支え 7

地域包括支援センターの担当者が、かなりの手間ひまをかけて、長期に療養可能な病院を探してきました。富田さんも 一応納得し、入院されました。
小規模な有床診療所です。

ああ 富田さんも遂に入院か。ちょっと寂しいね などと医師はスタッフと話したことでした。
それから、1週間後、ヒョッコリン富田さんが、愛用のシルバーカーを押して現れたのです。
「富田さんじゃないの! どうしたの!」
スタッフの大声で、診察室にいた医師も急いで、受付に出て行きました。ニコニコした富田さんが立っていました。

診察室に案内しての話
富田さん:「いや 先生 入院したばってんね、山のふもとで、人里 離れて 寂しいとよね。タクシーを手配して、帰ってきたと」
医師も絶句。

地域包括支援センターの担当者は、次に有料老人ホームを探してきました。
富田さん:「今度のとこは、よかごとあるね。」
富田さんもかなり気に入っている様子です。
何回か、再診し、男が部屋に侵入してくる話と風呂の話を聞いたのですが、遂に 入居されました。
いよいよ 富田さんとも お別れだなと医師もスタッフも 直感したことでした。

それから、しばらくして、或る日の午後、外来も途絶えて、診察室で一人ボンヤリしている時です。
医師はふと富田さんのことうを思いだしました。
被害妄想、幻覚 あきらかに 病的現象だが、単身で、富田さんが 生きていく上で必要だったのかもしれない そう 生きる支え。
病的現象は、消えるのが良いという 考えは、悪くはないが、何がなんでも消すとう考えは、少し 偏っているのかもしれない。
静かな時の流れ。半覚半睡のマドロミの中で、ボンヤリとこの想いに浸る医師でした。
  


Posted by 杉謙一 at 05:24Comments(0)レッスン

2009年11月04日

◆医療の現在 生きていく支え 6

考えてみると、富田さんの“被害に遭ったという語り”は、被害妄想とか時に幻覚とか呼ばれるのでしょう。
医師にとっての困りごとは、語りに熱中する、富田さんを 適当に切り上げてもらうきっかけ探しでしたが、風呂のことを知って、医師の困りごとは解決したのです。

富田さん:「最近、夜になると、ヘンな男が部屋に入ってきて、部屋の中を物色するとよ」
富田さん:「その 男がね・・・・」
医師:「ところで 富田さん。ホテルの風呂には、行ってるかね。」
富田さん:「ああ 行きよるよ。あそこはよかね。そうそう 先生も1回いかんね」
といった具合です。 

富田さんの 一人暮らしが限界に近づきつつあることは、周囲の人が、皆、考えていることでした。
寒暖に対する対策。アパートの2階でエレベーターも付いてないので、シルバーカーを引き摺っての階段の昇降。食事の偏り。ヘルパーとのトラブル。火の消し忘れによる火事の恐れ。
 以前からあった問題が、増幅し 誰の目にも、ちょっとこれはという状態に切迫してきていたのです。
他方で、90歳に近い女性が、市井で 気儘に暮らしているのを できるだけ応援したいという気持ちを持ちつつも。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:59Comments(0)レッスン

2009年11月02日

◆医療の現在 生きていく支え 5

診察を重ねるうちに、富田さんの生活や人生が、見えてきました。
それと呼応するように、自分が、被害に遭っているという 富田さんの 語りも変化していきました。
過去の話から現在の話に、遠い話から切迫した話に変化してきたのです。

富田さん:「先生、ヘルパーの人が来ると、ものがなくなるとよ。」
医師:「そうかね。」
富田さん:「この前もね、ヘルパーの人が、掃除した後、タオルが2枚なくなってね。」
医師:「タオル?」
富田さん:「そうタオルたい。その次 掃除に来た時は、後で 見ると 大事なものを入れた引き出しが、半分 開いとってね。」
医師:「なにか 取られたのかね」
富田さん:「いや なにもとられんかったけど 気持ち悪うてね。」
といった具合で、なかなか 話が終わりません。
そもそも事実関係も気になるところです。

その頃、要介護1の富田さんを担当している、地域包括支援センターの担当者が、訪ねてきました。
担当者から医師は様々な情報を入手できました。
富田さんの 被害に遭ったという物語は、周囲で、富田さんを支援している人たち(民生委員、アパートの大家、介護支援専門員などな)には、充分認知されていることもこの時知ったのです。
医学的に、富田さんの“妄想”はどうすべきなのかと聞かれたので、医師は、自分は精神科医でもないから、素人的な感想だが と前置きし、結局は、周囲と本人の困り具合によるのではないか。
自分としては、市井で気儘に暮らす富田さんとそれを支えている周囲を見て、いい感じと持つと言いました。
担当者の人も それなりに得心したようで、それ以上は訊ねることはせず、今後の富田さんの生活設計の話になりました。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:23Comments(0)レッスン