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2009年10月31日

◆医療の現在 生きていく支え 4

訂正:「生きていく支え 1」の “田島さん”は“富田さん”の間違いです。
御免なさい。

富田さん:「うちんとこは、風呂が付いとらんやろ。」
富田さん:「でも、近くに、ホテルがあってね、そこの上の階に、風呂があるとよ。大きな風呂で、お湯はどんどん出るし、シャンプーとかも 置いてあるし 本当に よかよ。」
医師:「シルバーカーを押して、近くのホテルに入浴に行くんだね。それは いいね」
病院で虐待されていたことを語っていた時の、硬い表情は、みるまに和らぎ、笑顔が出ます。
富田さんの笑顔はなかなか味わい深く魅力的です。

医師:「じゃ、富田さん 血圧でも 測ろうか。」
富田さん:「そうね。」
という具合で 一挙に診察は終了し、次の患者さんに移行できたのです。

以上が、“風呂”の話が、診察室での会話において、医師のアイテムとなった経緯です。
次回からの 診察でも、富田さんかは 必ず 自分が被害に遭っているという話が出ました。
医師も、それを防止しようとはしませんでした。その話をひとしきりすることは、富田さんには、とても重要なことだと感じたのです。
医師の方も安心して聴けるということもありました。時間が切迫した時の、アイテムを手に入れたので。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:15Comments(1)レッスン

2009年10月28日

◆医療の現在 生きていく支え 3

血圧を測りながら、膝の病気(変形性膝関節症)の歴史を聞いていた時、いくつかの病院への入院体験を話し始めた、富田さんだったのです。
10年前は××病院、7年前は△△病院、そして4年前は○○病院と、時間的な流れや記憶は、良好なようで、90歳を間近にして、富田さんの記憶は、良く保たれているようです。
ただ、入院体験についての語りが、ちょっとヘンでした。
病院で、同室者が、自分の財布の金をくすねた、看護師も結託しているようだ、部屋も、地下室みたいな所に移されたと次第にエスカレートしていくのです。
それにつれて、語りは活気を帯び、はてしなく続きそうな気配です。
その時、次の患者さんのカルテが届きました。医師は、追い詰められた心境です。
医師:「大変だったようですね。富田さん。ところで、富田さん、アパートには風呂はあるの?」
突然の、話題転換に、一瞬ポカンとした、富田さんですが、
「いや、ついとらんよ。」と応じてくれました。
このあたりは、素直で善良な方なのです。

医師の咄嗟の言葉も、ヒョイと出たのでした。
前回の診察の時、8月の猛暑の時期です。
エアコンもない話、窓を開けると、蚊が入るので、蚊帳を吊る話、古い扇風機は時々使用する、電気代の節約のため、などを聞いていました。
この時期 風呂はどうなっているのだろうと気になっていたのです。
気がかりが、フと、言葉で出たのです。
富田さん:「そうそう その風呂のことたい。」
パッと富田さんの、顔が明るくなりました。
心の向きが転換したのです

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:28Comments(0)レッスン

2009年10月27日

◆医療の現在 生きていく支え 2

医師が富田さんと、最初に会ったのは、シルバーカーを押して、診察室の前に立つ姿でした。
膝が悪くて、変形している富田さんにとって、シルバーカーは、生きていく為の 必須のアイテムでした。軽い素材で作ってあり、荷物を載せるスペースも充分です。
身体と一体化している感じでした。

診療所は ビルの2階にあり、エレベーターもついているのですが、富田さんは、自動エレベーターが苦手のようで、一歩一歩、階段を登ってこられるのです、シルバーカーを引き上げながら。
もっとも これは、何回が再診され、心安くなって 教えてもらったことですが。

初診時、以前の薬を待って来られたので、血圧を確認してから、同一の薬効の薬を処方して、富田さんを診ることになったのです。

再診の度に、四方山話のような会話の中で、医師は次第に富田さんを知っていきました。

一人暮らしであること。
17年間、現在のアパートに住んでいること。
アパートに風呂は付いてないこと。
以前 結婚していたらしいが、現在では 身寄りがないこと。
民生委員の訪問とか、介護保険でのヘルパー派遣とかの社会的支援は受けていること
アパートには、エアコンはなく、冬は寝具を着込み、夏は窓を開けて、蚊帳を吊るといった 古典的生活をしていること。
火の不始末は、数回 鍋を焦がした程度で、大事には至っていないこと

身体所見、血液検査、心電図などは良好で、健康に恵まれた方のようです。
膝が悪いのと血圧が高いことを除いては。
診察室での 会話で方向転換するさいの医師のアイテムとなった“風呂”の話を知った経緯は、次回に書きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:20Comments(1)レッスン

2009年10月26日

◆医療の現在 生きていく支え 1

或る日の診察室です。

田島さん:「先生、とにかく、○○病院では、酷い目に おうてね。くびるとよ。両手を。」
医師:「くびるって、縛るのかね。」
田島さん:「そうたい。暗い部屋に入れられてね。ご飯は持ってくれたけどね」

この類の 話し つまり自分が酷い目にあわされたという話しになると田島さんは、活気を帯びてきます。
多分、相槌ばかり打っていると、次第に加熱して、田島さん自身が 疲労しそうです。
何せ、田島さんは、もうすぐ90歳の女性ですから。

そんな馬鹿なという否定は、油に火を注ぐか、田島さんの心を閉ざす効果しか期待できません。
医師は、適度な相槌を打ちながら、他方で、別の話題に富んでしまうタイミングをうかがいます。

田島さんの、語りのエネルギーが、やや 切れた瞬間が来ました。
医師:「ところで、田島さん 田島さんの借りているアパ-トの部屋には風呂はついてないんだったよね」
一瞬、とまどった田島さんですが・・。
「そうそう」とすぐに、応じてくれました。

こうした点では、疎通性(ラポール)の良い田島さんです。
“風呂”の話しは、医師のアイテムの一つになっています。
妄想の語りに入り込んだ田島さんの方向を切り替えるためのアイテムの一つに。

約6ヶ月前、田島さんは、「血圧の薬もらえんね。」と初診されました。
従来、通院していた、診療所が閉鎖したというのです。
医師は、血圧の薬を処方しながら、診察を重ねるうちに、最近、田島さんとの会話のコツを心得るようになったのでした。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:46Comments(0)診療の徒然に

2009年10月24日

◆古くて新しい問題 酒。7


“自助グループ”という考え方があります。同じ悩みを抱えた人々が、自発的に集まって、経験を共有することで、自分が変化していく、エネルギーを産みだそうとする考え方です。
アルコール依存症の悩みを抱えた人たちの集まりが、自助グループの発端だそうです。

「酒を飲む」という経験を繰り返して、深い場所まで、降りていった人同士の、相互の遣り取りは、確かに問題の核心に触れそうに思われます。
自分自身は、楽しく 表面を撫でただけの飲酒体験しか持たない医師の助言に較べると、はるかに、問題の核心に肉迫できそうです。

最後は、自己破壊、家庭崩壊に到ってしまうこともあるアルコール依存症の方々ですが、
飲酒体験(酒の道?)という点では、医師の先を行く先達?でもあるとも言えるのです。

アルコール代謝の化学とか 血中アルコール濃度と症状の関係とか、アルコール依存の診断基準とか、アルコール依存になる30%の人がアルコール性肝硬変になるとか そうしたことは知らなくても、酒の魅力とか、その魅力の味わい方とか、遂には、悪魔のような吸引力に吸い寄せられる時の快感とか、そうした飲酒体験についてはよく知っているのです。

酒は飲むものか。
酒(アルコール)は、認識されるべきものか

前回、「医師自身の酒に関する経験と、患者さんの経験が切り結ぶような治療関係」と書きましたが 改めて、簡単にできることではないと考えます。
自助グループの縁の下の力持ちの役割に甘んじる方が医師の役割を果たすのに有効なのかもしれません。

“医師の役割”とは、アルコールで自己破壊に向う方を、引き戻すことです。
“有効”とは、引き戻す率の高さを競うということです。

やはり、アルコール依存の方の飲酒体験と医師の飲酒体験が切り結ぶのはむつかしそうです。
酒、古くて新しい健康問題ではあります。
  


Posted by 杉謙一 at 06:51Comments(0)診療の徒然に

2009年10月23日

◆古くて新しい問題 酒。6

「うぶ」な状態から、老獪な状態に 移行していく経過に、たくさん経験があるわけです。酒で心身の健康を障害した、様々な方に、医師として係った経験が。

しかし、医師といえども酒を飲みます。
アルコールを受け付けない医師もあるでしょうが、それはアルコール不耐症という体質の問題にすぎません。
医師でない人と同様、1割前後、存在するだけです。

自分自身の飲酒経験と酒で心身の健康を障害した方を身近で観察した経験がどう切り結ぶのか。

急性アルコール中毒による健康障害は、こうしたことを考える必要がありません。
それこそ、酒にナイーブな、大学生が、歓迎コンパで、一気飲みをして、意識混濁に陥ったりするケースです。

長期に常習的に飲酒し、日々の生活の中で、いつのまにか、酒が、重要な部分を占めるに到った方、こうした問題を考える時に、健康障害についての専門職たる医師の飲酒経験が気になるのです。
酒を飲む医師は酒飲みに甘く、喫煙する医師は煙草吸いに甘いという 説もあります。
甘くしていて、大きな問題が生じてない時は、お互いに幸せなのですが。

親が大酒のみで、その醜態を気嫌いして育った子供が、一滴も飲まないという方もあります。
他方、いつのまにか親と同じように大酒のみになっていたというケースもあります。

こうした点が “古くて新しい問題 酒”のむつかしいところです。

そもそも、“大酒のみ”の大酒の量とは?
150ml以上のアルコールだと言われています。
ビール500mlと焼酎のお湯割り6杯も飲めば、軽くアルコール150mlを越します。
常習的に大酒を飲む人は、アル中である と言わざるを得ないと飲酒量で迫ると話しが分かりやすいのですが・・・。

私もナイーブであった研修医時代の経験談です。
糖尿病で教育入院した方の主治医に当てられ、酒の話になりました。
「先生、私はアル中ではないですよ。1日目は焼酎1合、2日目は2合って言う具合に、毎日1合増やしてね、1升になったら、翌日はまた1合ってことで、自由に量を変えれるんですよ。ていうことは、アル中じゃありませんよね 先生」
海千山千のアル中の方に、翻弄された思い出です。

アルコールを他人事として観察して、たくさんの知識を、集積するだけでは、本当にアルコール問題に肉迫できないのではないか。
医師自身の酒に関する経験と、患者さんの経験が切り結ぶような治療関係がないともうひとつでは。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:44Comments(0)診療の徒然に

2009年10月21日

◆古くて新しい問題 酒。 5

ナイーブという言葉があります。
辞書的には「無邪気、素朴、うぶ、世間知らず,幼稚」などが列記されています。
ナイーブと逆の語意を持つ言葉としては、「老獪な、したたかな、鍛え抜かれた、 悪意を持った」などが思い浮かびます。

私の診療経験から反省すると、3段階あるのではないかと思われます。

最初のナイーブな段階が、昨日書いたようなケースです。
社会の第一線で、活躍していいて、態度 物腰 申し分ない方がだが、血糖と血圧のコントロールが悪い、飲酒習慣はあるようだが、仕事の付き合いで仕方ない面もあるし、という理解で、事実としての飲酒量さえ把握できてないことの振り返りができていない。
ナイーブな段階の医師です。酒がヒトに持つ意味の深さを洞察することからまだ遠い。

何回か、苦い目に会うと、次の段階に移行します。
酒問題は、隠れた大きな健康問題だと 心に刻まれるのです。
ややこしい問題だとは、思うのですが、距離を置いてイヤだなと遠巻きにしている感じでしょうか。
内科で、10年以上の臨床経験を積むと、多くの場合 この段階に位置しているように思います。
患者が酒を飲むことに、否定的になり、許可する時は、シブシブと許可するという、態度になるという段階です。

次の段階は、例えば、アルコール依存症 いわゆるアル中の診療に従事している医師です。
ナイーブからもっとも遠い所に立っているのかもしれません。

 次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:43Comments(0)診療の徒然に

2009年10月20日

◆医療の現在 古くて新しい問題 酒。4

患者:「先生、酒は飲んでいいですか?」
医師:「酒? 適量ならいいですよ」
と打てば響くように返ってこないのは何故か?
一つには、医師が診療経験で苦い思いをした記憶からきているのではないかと私は考えています。

例えば、糖尿病と高血圧の50代男性(会社の管理職)を、何年も診ていたとします。
医師:「血糖と血圧のコントロールはもう一つですね。 塩分と酒を控えましょうね。」
患者:「わかりました。気をつけます。」
という類の類型化した 療養指導をしていたとします。
薬物療法もしているが、検査値は思わしくない。
時に酒の摂取状況も聞いてみるが、適当にはぐらかされる。
そんな、診療が続く或る日、時間外に腹痛、嘔吐、下痢などの急性症状で受診。
当直医が診察すると、明らかに黄疸も出現し、“アルコール性肝炎”で、重症であったというような経験です。

アルコール性脂肪肝の人が、なんらかの引き金で、連続的に大酒を飲み続けると、発症する可能性のある、“アルコール性肝炎”です。
同じ アルコールで始るので、似たように聞こえる “アルコール性肝炎”と“アルコール性脂肪肝”ですが、もって非なる、二つの病気なのです。

こうした苦い経験を、何度かすると、医師は、患者が酒を飲むことに、否定的になり、許可する時は、シブシブと許可するという、態度になるように思います。

酒であろうが、喫煙であろうが、何事とも経験してみないとその実相はよく理解できないということは言えるように思います。
アルコールの代謝とか、アルコールの健康障害の統計とか、アルコールが肝臓の細胞に与える影響とか、そうした 医学的知識をいくら蓄積しても、酒をのむことの実相はよくわからないのです。
どういうことでしょうか?

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:31Comments(0)診療の徒然に

2009年10月16日

◆医療の現在 古くて新しい問題 酒。 3

肝臓病”というと、以前は「酒の飲みすぎ」と一蹴されていた時代もありました。
せいぜい50年前です。
B型肝炎ウィルスの発見以降、A型肝炎ウィルスの発見、約20年前のC型肝炎ウィルスの発見で、「肝臓病」についての知識・医療は飛躍的に進歩しました。

それとともに、“怖い肝臓病”即ち肝硬変や肝臓癌に繋がる“肝臓病”は、大部分がウィルス性だという認識が、社会一般に共有されるようになったのは この10年です。

“怖い肝臓病”の8割がウィルス性、残り2割が昔からのアルコール性というのが数年前までの一般の医師の認知でした。
ところが、数年前から、肝臓専門医から“非アルコール性脂肪肝炎”という知識が提唱され、肝臓病の一番新しい話題として、最近、持て囃されています。

酒も飲まず、ウィルスもないのに肝臓に脂肪が沈着して脂肪肝になった挙句、肝硬変→肝癌 のコースを辿る方が散見されるというのです。
この時の“酒も飲まない”という内実が25mlのアルコール アサヒス-パードライ500mlなのです。
即ち、健康障害がまず起こらないと医師が保証するアルコール摂取量だというわけです。

ご存知のように、アルコールによる健康障害は、肝臓だけではありません。
すい臓、心臓、血管、骨、神経さらには脳と多岐にわたりますが、多分、25mlのアルコールは、どの部位を考えても、健康障害を生じない量なのでしょう。
アルコールをうけつけない体質の人は別として。

ところで、一般の人が診察室で医師とむきあう時、
患者:「先生、酒は飲んでいいですか?」
医師:「酒? 適量ならいいですよ」
と打てば響くような即答が返ってこないのではないかという印象があるようです。
飲酒の許可を出したとしても、医師はしぶしぶ出してるというイメージです。
何故 そういう印象を持つに到るのでしょう。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:12Comments(0)診療の徒然に

2009年10月14日

◆医療の現在 古くて新しい問題 酒。 2

WHO(世界保健機構)という健康問題の、世界の総元締め的な組織があります。
そのWHOによるとグローバルレベルで疾患の原因となっている原因は、1.高血圧 2.喫煙 3.飲酒 だそうです。

ただ“酒問題”はアプローチがむつかしい。

或るヒト、例えば田中さんにとっての“健康問題としての酒”を考えようとする時、平均的なアルコール摂取量を把握することが、先ず第一歩となることは言うまでもありません。ところが、この第一歩が実にむつかしいのです。

アルコール摂取量を正確に教えてもらえたら、健康問題としての酒という課題は、半分以上解決したと言えるのではないかと 思えるほどです。

韜晦という言葉があります。
辞書では、「自分の才能・地位などをつつみかくすこと、形跡をくらましかくすこと」だそうです。
医師が、患者さんのアルコール摂取量を知りたいと質問を重ねる時の、酒飲みの対応はまさしく「韜晦」と呼ぶに相応しいようにも思えます。

私も医師として年輪を経るうち、筋金入りの韜晦を発揮する方は、多くの場合、酒問題が健康問題にまで深化している方であることを識るようになりました。

最近では、日々、どんな種類の酒をどれくらい飲んでいるかという数字より、それを聞き出す会話での韜晦の巧みさの程度の方が、重要な情報であるとまで思うに到っています。
藪の中の、実際のアルコール摂取量ですが、健康障害は、冷徹にアルコール摂取量と相関します。

さきほど、“酒飲み”という言葉を使いましたが、“酒飲み”と呼ばれるためには、1日20gのアルコール摂取が、条件のようです。
健康問題としの“酒飲み”を論じる時には。

20gのアルコール、すなわち25mlのアルコール。
ということは、毎日、アサヒス-パードライ500mlで止まる人は“酒飲み”とは、呼んでもらえないということです。
少なくても、健康問題としての“酒飲み”ではない。
どういうことなのでしょう。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:50Comments(0)診療の徒然に

2009年10月13日

◆古くて新しい問題 酒 1

或る日の診察室での会話

医師:「ところで、田中さん、タバコは去年、止めたと前回の時、伺いましたね。」
患者:「そうです。結構、苦労しましたがね。」
医師:「お酒のことを 聞き忘れていたので教えてください。飲まれますかね?」
患者:「そこそこにね、嫌いな方じゃないですよ。」
医師:「毎日?」
患者:「女房が、どこかで、吹き込まれてきて、休肝日って、 煩くてね。」
医師:「自宅で、晩酌タイプですか。それとも外で?」
患者:「季節によってね。飲みに行く機会が多くなると、次々と集中して。不思議だよね」
医師:「量は?」
患者:「最初、ビールで 喉を潤して。少しだよね。小さい奴。その後 焼酎を。なるべく薄くしてね」

結局、具体的なアルコール摂取量は、教えてもらえない。
よくあるパターンです。

田中さんが、自宅で晩酌する時、プレミアム500ml(アルコール5.5%)を、軽く飲み干し、奥さんの冷たい視線をものともせず、手製の濃い目の焼酎(25度)を2合飲んでいることを医師が、知ることは、とても困難な課題なのです。

因みに、上記の晩酌を、アルコールに換算すると、117.5mlのアルコールです。
平均、週3日は、外で飲む田中さんですが、その際は、晩酌のアルコールより1.5倍は飲んでしまう田中さんです。

肝臓病の専門家曰く
“20年間の間、アルコールを毎日100g摂取していると、かなりの人が アルコール性肝硬変になる”
100gのアルコールを換算すると125mlのアルコールです。
実は、田中さんの飲酒習慣は、健康問題として深刻だったのです。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:08Comments(0)診療の徒然に

2009年10月10日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 12

当初は、いわゆる「胃カメラ」から始った、内視鏡の医療の場での、応用はどんどん増えています。

ファイバースコープなどの技術の進歩/楽で効果のある医療をというニーズ/それに応えようと競争する医学・医療,
こうした中で、日進月歩で内視鏡を使った医療手技が、検査・治療に実用化されていく現在なのです。

上部消化管内視鏡(胃カメラ)で、食道―胃―十二指腸を観察するだけでは、ありません。
●組織を切り取って検査する:生検、
●ポリープを切り取る:ポリペクトミー
●癌細胞が確認された部分の粘膜を切除する:内視鏡的粘膜切除術 
●十二指腸乳糖部を切開して総胆管の結石をと取り出す:内視鏡的乳頭筋切開術 
●口から食べれなくなった方の胃に穴を開けて体外からチューブを挿入する:経内視鏡的胃瘻増設術
いずれも、出血が避けられない内視鏡的手技です。内視鏡下なので、止血の為の処置が充分できない可能性もあります。

こうした内視鏡を使った医療手技を受ける方で、抗血栓剤を服用している方は少なくないのです。

抗血栓剤を中止するリスクの評価、内視鏡手技の出血のリスクの評価 それぞれの専門家が、お互いの立場を踏まえて、交渉するというイメージです。
患者―主治医の治療関係の中で、進む 従来の医療と異なったイメージです。

背景には、長寿社会があります。
一人の高齢者が、たくさんの病気を持ち、たくさんの薬を飲み、様々な医療を受け、長く生きる。
それに ともなって、次々と生じる問題。

大袈裟かもしれませんが、私達は人類史での、新たな地平に立ちつつあるのかもしれません。
その結果、見えてきた新しい課題の数々。

そうした 考えに誘われる 血液サラサラ問題ではあります。
  


Posted by 杉謙一 at 06:34Comments(0)診療の徒然に

2009年10月09日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 11

では、お腹を開けたり、胸を開いたり という本格的な手術の時はどうなるのでしょう。開頭手術、開胸手術、開腹手術などです。
アスピリンなら手術の5日前から休薬、ワーファリンも然りといった大まかな基準はあります。
薬によって、血液が過度にサラサラになっているのを 本来の状態に戻すということです。しかし、本来、必要があって、過度に血液をサラサラにしてるんだし・・という問題。
「必要性」も、実は、人それぞれなのです。

心臓が不規則に拍動する“心房細動”で、抗凝固剤であるワーファリンを飲んでいる方と、心臓の弁に異常があって、その挙句、“心房細動”になった方では、「必要性」が異なるのです。
後者の方は、今風に言うと、ハイリスクなのです。
ワーファリンを中止している間に、心臓に血栓ができて、脳血管(動脈)に詰まってしまうリスクが高いのです。
これに対しては、
ワーファリンを中止する→ヘパリンという点滴に代替する→手術直前にヘパリンも中止して血液が過度にサラサラでないことを検査で確認する→速やかに手術し止血処置をシッカリ→止血確認後にヘパリン再開→その後落ち着いて、ワーファリンに戻す 
というややこしい手順を踏みます。

手術に責任を持つ胸部外科医は、止血処置をしても、ダラダラ出血する手術部位は恐怖です。いくら 上手に血管を縫い合わせても、最終的には、ヒトの止血機構の発動で止血するのですから。
循環器内科医にとって、ワーファリンを休薬しているうちに脳塞栓を発症されるのはなんとか防止したい。
胸部外科医と循環器内科医の関心が、患者さんを巡って 相反するのです。

しかし、こうした、誰が見ても、問題というケースは、心配ないとも言えるのです。
問題の所在を、医療者が皆、認識し、注意を払うからです。
多分、こうした方は 地域の拠点病院で、手術するでしょう。
胸部外科医を中心として、麻酔科医、循環器内科医が充分話し合い、血液サラサラの程度についての検査も充分行なわれるでしょう。

他方、最近は、内視鏡を使った医療手技が日進月歩です。
キーワード、優しい検査 楽な治療です。

抗血栓剤を服用している方が、内視鏡的手技を受ける場合は?
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:48Comments(0)診療の徒然に

2009年10月07日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 10

抗血栓剤を飲みながら、出血せざるを得ない医療的処置・手術を受ける。

“血液サラサラ”と“血液ドロドロ”が葛藤する状況です。

“あっちを立てれば、こっちが立たない”というか、今風の言葉では“利益相反”というのでしょうか。

数百万人の方が、抗血栓薬を飲んでいる現在、とてもありふれた、しかし 悩ましい問題なのです。

 

実際を 概観してみましょう。

まず、抜歯の場合です。出血します。

抗血栓薬を飲んでいる方は、数日前から薬を中止して、抜歯に備えることが、患者さんを配慮した注意深い医療行為ではないかと 思われていました。

 

つまり、抜歯のことを患者さんから聞いた内科医師が、ああ そういえば この人はバイアスピリンを飲んでいたなと思い出し

「抜歯の5日前から、血液サラサラの薬 飲むのは止めといてくださいね。抜歯した後、血が止まらなかったら困るからね」と言うと

患者さんも この医者は、よく気がついてくれる医者だと信頼感を増していたのです。

 

また 歯医者の方も、「かかりつけの先生に、血液サラサラの薬出てないか 聞いといてください。抜歯の数日前に中止してもらうように。薬によって、いつ中止するのかが 違うからそれも聞いといてね。」と言うと

この歯医者は、色んなことを配慮してくれるいい先生だなと、患者さんは感じたのです。

 

ことろが、抗血栓薬を中止している時に、血液ドロドロになり、血栓→梗塞が、有意に多いというデータが出てきたのです。

有意にというのは、もし抗血栓薬飲み続けていたら、そのうちの何人かは血栓→梗塞は起こらなかったのではないかと、推定されるという意味です。

 

他方、歯科医からは、抗血栓薬を服用した状態でも局所的な処置を入念にすれば、問題ないという見解が出てきたのです。

 

一転して、抜歯予定→抗血栓薬中止 は 不適切な医的判断になってしまったのです。
医師にとっては大変な時代だと 愚痴をこぼしたくなる時代です。

次回に続きます。

  


Posted by 杉謙一 at 06:43Comments(0)診療の徒然に

2009年10月06日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 9

殆どの方が、血管(静脈)に針を穿刺して、採血された経験をお持ちだと思います。
普通、採血された血液は、試験管に入れて、立てておき、30分 室温においておきます。30分後には、血液は2層に分離します。
赤血球をはじめとする細胞成分は重いので下降するのです。
上半分が、黄色の血漿ですが、ゼリー状にブヨブヨ固まっています。
これが、フィブリンで血液が凝固した状態なのです。
フィブリンは繊維状の蛋白質で、これが網目のように拡がって血漿をゼリー状にしたのです。

繊維状のフィブリンが形成されるまでの過程がとても複雑で、約12種類の血液凝固因子
が連鎖的に反応してフィブリン形成に到るのです。
12種類の血液凝固因子のうち4種類を合成するのにはビタミンKが必要です。
100万人以上の方が服用しているワーファリンは、ビタミンKの作用を妨害して、フィブリンが形成を妨げるのです。
“抗凝固剤”と呼ばれています。

血液の流れがよどんだ部位(心臓がバラバラに拍動している心腔内とか、静脈とか)では、試験管に入れた血液と、同様の連鎖が発生して、フィブリン血栓が、心―血管の中にできてしまうという話です。
他方、勢い良く流れていく、動脈内腔では、血管の微小な傷に血小板が粘着することをきっかけとして、血小板血栓→フィブリン血栓ができてしまうという話です。

従って、動脈に血栓ができるリスクの高い方は、医師から、血小板の働きを弱める薬を勧められます。
“抗血小板剤”と呼ばれます。
代表的な薬がアイアスピリンで約300万人の方が服用しているということです。

“抗凝固剤”と“抗血小板”を合わせて、“抗血栓剤”と呼んでいます。
医療の場で血液サラサラと言われている薬です。

怪我→出血→出血死していた、時代では、血液サラサラの薬は寿命を縮める薬であることは言うまでもありません。

現代での出血は、不慮の怪我もさることながら、医療的処置→出血も問題です。
抜歯、手術、胃カメラでの組織の生検など。
抗血栓剤を飲みながら、出血せざるを得ない医療的処置・手術を受ける・・・・。
なかなか苦しい状況です。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:23Comments(0)診療の徒然に

2009年10月05日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 8

①と③は、血液の流れが、乱流であったり、ゆったりしていたりするという点が特徴です。
1分間に80回前後 収縮し、勢い良く一方向に流れていく血流、心室―動脈の血流と対照的です。
基本的に勢い良く流れていく血流には血栓ができにくいだろうというのは、直観的に理解できますね。

①、③ タイプの血栓をフィビリン血栓といいます。ゆったりした血流に形成されるフィビリン血栓。
②のタイプ 即ち 動脈に形成される血栓を血小板血栓といいます。一方向に勢い良く流れる血流だが、動脈の傷がきっかけとなる血小板血栓。

最初に書いたように、人類 数百万年の歴史の大部分は、怪我→出血→出血死 だったわけです。
止血の仕組みを二重三重に整備することに、身体は精魂を傾けました。
進化論的には、より整備された、止血機構を達成した体質の子孫が生き残ったのです。
今風に言えば、より 血液ドロドロ体質の子孫が、生き残ったのです。
人生50年? いや 40年だったかも知れぬが、子供は産める年です。

怪我の時の止血機構は2段階方式です。取りあえずの応急処置があります。血小板が活躍します。傷ついた血管部位に血小板が粘着→凝集するのです。
血小板血栓です。傷ついた部位に応急的にフタをするのです。
しかし、血小板血栓は、ちょっとした外力で、再び綻ぶ恐れがあるので、つぎにフィブリンが血栓を塗り固めます。
血小板血栓→フィブリン血栓で しっかり止血されるのです。

繰り返しますが、脳梗塞にしても心筋梗塞にしても、永く ヒトを出血死から護ってきた、仕組みが、仇となったのです。
①と③では、血流の停滞でフィビリンが、作られることで。
②では、動脈の傷に血小板が粘着することで。

①と③で問題のフィビリン血栓に対して、ワーファリンという“抗凝固薬”が、処方され、100万人以上の方が服用しているとのことです。
次回、このことを 考えてみます。
  


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2009年10月03日

◆医療の現在 血液サラサラ再考 7

簡単に エコノミークラス症候群の説明をしておきます。
そもそも、下肢は、心臓から隔たった部位です。
身体を1つの国に例えるなら、辺境の地なのです。
静脈中の血液は、辺境の地から、はるばると 心臓を目指して還るわけです。

考えてみると、心臓の駆動力は、下肢の静脈には、及んでいないのですから、はるばると心臓に還ってくるのは 大変なことなのです。特に、普通 下肢は心臓より下に位置しています、臥位の時以外は。 
血液は水と同じように重いので、下に流れようとします。静脈弁の活躍で、静脈中の血液は、なんとか 心臓に還ってゆくのです。
椅子に長く 腰掛けたり、歩かずに立っていると、下肢が浮腫み、けだるくなる方は多いと思います。
毎分4-5Lの血液が心臓から駆出され、その一部は、下肢に向います。下肢を下垂したポジションで、重い血役を重力に逆らって、絶えず心臓まで、持ち上げるのは、身体にとって大変な作業なのです。
歩いていると、身体にとって、この作業はかなり楽なものになります。歩くたびに、下肢の筋肉群が収縮して、下肢の静脈を圧迫して、血液を押し上げるのです。この動きと静脈弁な開閉が連動すると、静脈の血液はスムースに心臓に還るのです。
足が第2の心臓と言われる所以です。

長時間、狭い場所で、足を下垂しておくと、下肢の静脈の血液は、停滞して、動きが遅くなります。歩かないと第2の心臓も機能しません。
静脈中で、血液凝固系の作動が優勢になります。気がつくと血栓ができているというわけです。
普通、下肢静脈の血栓は、悪さをしません。本人にもわかりません。
おおきな静脈にたくさんできると、下肢の一部や全部が発赤して、傷んだりすることもありますが。

劇的な変化は、下肢の血栓が、心臓に還って、心臓から打ち出された時に生じます。
心臓から、血液を打ち出すポンプに左心室と右心室という2個のポンプがあることは、微かに記憶があると思います。
左心室は大きく全身(肺以外)に血液を打ち出します。右心室は小さく、肺のみに血液を打ち出します。
下肢から還ってきた、血栓は、右心房に入ってくるので、結果的に右心室から、肺に打ち出されます。
肺動脈は次々と枝分かれして細くなりますから、あるところで、血栓は、一斉に、細い動脈で詰まるのです(肺塞栓)。
これがエコノミークラス症候群です。

もう1回 元に戻って、話しを概観しましょう。
①心臓に血栓ができる
②動脈に血栓ができる
③静脈に血栓ができる
以上三つでした。
エコノミークラス症候群は、③から始って、こじれたタイプでした。
①と②は、実は 似た出来事なのです。

次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:16Comments(0)診療の徒然に