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2009年03月30日

◆医療の現在 インフォームド・コンセント 3

前出のメルクマニュアル第17版に風邪(本では感冒と記載されています)について興味深い記載があります。翻訳文が悲惨な日本語なので、分かりやすく書き換えています。
「冷たい気温に曝されること自体は風邪を誘発しない。健康状態や栄養状態が不良であるとか扁桃肥大などの上気道異常があるからといって風邪にかかり易いわけではない。しかし、過労、情動ストレス、アレルギー性鼻炎さらに月経周期の中間期は、風邪にかかりやすい。これは、血液や分泌物の特異的中和抗体が低下することと関係ある。」
つまり、“情動ストレス”があると免疫力が低下して、風邪にかかりやすくなると言っているのです。
私の30年に亘るささやかな医師稼業からの直感でも、例えば進行した癌患者が、風邪を引きやすいことはないように思います。
大きな病気はないが、職場での板ばさみ状況に、宙吊りになって、ウツウツとしている方は、風邪をひきやすい印象があります。
進行した癌患者や栄養状態の悪い方は、風邪でも引くと、急速に命にかかわる状態になるという警戒感、風邪を引かないようにと繰り返される注意が、風邪を引きやすいという錯覚を生み出しているような気がします。
以前、太平洋戦線で、南方戦線に、軍医として従軍された医師から聞いた話しです。「イヤー あんた 戦場で、風邪を引いたとかいう兵士が居たらね、ここは戦場だぞ、貴様、たるんどるぞ! と 一発ビンタを食らわすのや。それで、結構良くなったものだ。」確かに、ある状況下では、1発のビンタが、免疫力を即効的に上げるような気もします。
脱線しましたが、風邪というありふれた病気をよく、観察してみると、その人の心の状態と相関しているように思われるのです。
そこで、抗生物質問題です。
1929年、フレミングがアオカビから発見した、ペニシリンは、1941年、ベンジルペニシリン(ペニシリンG)として、実用化され、第二次世界大戦中、多くの負傷兵や戦傷者の命を救いました。細菌感染をコントロールすることで。
細菌感染症は、風邪と違って、凄まじく、時に一挙に命を奪います。起炎菌(悪さをしている細菌)によく効く抗生物質を、投与した時の効果もまた劇的です。まさしく魔法の薬です。
当初、戦場に登場した、ペニシリンの劇的効果は、深く、目撃した人々の心に刻み込まれたはずです。特に、医師や看護師に。
実は、風邪の時に、抗生物質服用を希望するのは、医師・看護師に多いということも よく出てきます。幾分、揶揄的に取り上げる人もいます。本当にそうなのか、私は確認したわけではありませんが、そんな印象は持っています。当然かもしれないと思います。近代医学の金字塔なのですから。抗生物質は。
次に、その抗生物質を呑むことで、“情動ストレス”が変化して、“血液や分泌物の特異的中和抗体”が上昇したとしたら。
これは、抗生物質で、風邪が早く治った(風邪は普通、遅くとも10日以内には治るとされています)と言えないでしょうか。
じつは、オンフォームド・コンセントのピンとこない点のひとつはこの点にあるのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:24Comments(1)診療の徒然に

2009年03月29日

◆医療の現在 インフォームドコンセント 2

メルクマニュアル第17版という、簡便な教科書では、感冒・上気道感染症について、以下のような記載があります。「通常は急性の気道ウィルス感染症である。・・・細菌感染を合併していなければ、症状は4-10日で消失する。・・・細菌感染を合併することを予防するために抗生物質を使用することは勧められない」
要は、風邪(正式には、風邪症候群、感冒、上気道炎 などと言います)に、抗生物質を使うのは、意味のないことが多いと書いてあるのです。学問的には、大多数が、同様の結論だと思います。
しかし、抗生物質には根強い人気があります。当院では、処方箋を発行し調剤薬局で調剤してもらう訳ですが、時に、薬局で、抗生物質を出してもらえなかったと不満を言われた方があると、患者情報がフィードバックされてきます。
抗生物質の副作用は、一定の頻度であるし、薬剤費の問題もある、しかし、一見、風邪のようでも実は、細菌が悪さをしていて、抗生物質に一定の効果が期待できるかもしれないしと 私の考えも乱れるのです。

医師:「ところで、抗生物質はどうしますかね。」とさりげなく相手の感触を探ります。
女性:「どうしますって どういうことですか」
医師:「いや、飲んだ方がよさそうなのかな どうかなと」 と 私の口調もややしどろもどろです。
女性:「そんなこと、私に言われても・・ わかりません」
医師:「それは そうですよね」と私も、苦笑します。
結局、抗生物質は出さないことで決着しました。
現場でのインフォームド・コンセントは、ややこしいなと心中でボヤク私です。
十分な情報提供するという本来の趣旨からすれば、①風邪症候群の定義 ②現在の症状が風邪症候群であると考えられる根拠 ③多くはウィルス性のものであること(文献を引いてその確率まで明示できれば満点) ④抗生物質はウィルスには効かないことの説明 ⑤ただ細菌による上気道炎の可能性とか、ウィルスに細菌感染が合併する可能性もあるので、抗生物質は、まったく無意味とは言えないこと ⑤ただ抗生物質による副作用もあること。但し、短い投与期間だと、危険性は減ること ⑥薬剤費の問題  こうしたことを縷々説明して、その情報開示の上で、飲むどうかを決めるというのがインフォームド・コンセントなのでしょう。
でも、現場では、上記のくどくどした情報開示に、へきへきする人が大部分でしょう。
ただの風邪じゃないか、御託をならべずにさっさっと薬出してよ というのが多くの方の本音のような気がします。医師の前で、露骨には言わなくても。
次に、決定は患者がするのか、医師がするのか、二人の合意なのか。これも奥深い問題です。
ただの 風邪を例にあげて、インフォームド・コンセントを考えたのでピンとこないのでしょうか?
ガンの治療という深刻な問題ならピンとくるのでしょうか?
深刻な問題は、身構えてしまうので、身構えなくてよい例の方が、インフォームド・コンセントを自由に考察できると思うのですが。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:01Comments(0)診療の徒然に

2009年03月28日

◆医療の現在 インフォームドコンセント 1

インフォームド・コンセントという言葉は、英語をカタカナ表記した日本語です。
医療の場では、右に行くか、左に行くか いつも決断を迫られます。
その決断の軌跡が医療実践なのですが、そこでの意思決定をする際、“患者が充分な情報を知らされて(=インフォームド)” しかる後に“同意する(=コンセント)”という趣旨です。
アメリカ・ヨーロッパ発の個人の自立(その背後には、神がある場合が多い)を前提とする自己決定の思想です。
従来の父権的な医療への不満から、日本社会でも 支持されました。医療情報の開示、お薬手帖を渡す、ガンの告知などと一連の問題です。
1988年に、日本医師会が、生命倫理懇話会に諮問し、1990年 「インフォームド・コンセント  説明と同意についての報告」が、答申されました。
「説明と同意」では不十分だ、「説明と選択(患者が選択する)」が本来の趣旨ではないか、いや 患者と医師が、同じ地平で情報をシェア(=共有)して、 医療現場での意思決定をすべきだという意見もあり、押されっぱなしの医師は、とまどっているのが、現状だと思います。
医療の憲法ともいうべき、医療法には、“医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。”と記載されています。
つまり、法的にもインフォームド・コンセントが、義務づけられているのです。
ということとで、或る日の診察室です。
20代前半の女性が、見えました。問診表の「風邪(と自分で考えている)」という部分にチェックが入っています。

医師:「風邪のようですが、症状はいつからですか?」
女性:「3日前の火曜日です。昼から、ゾクゾクして、咽が痛くなって」
医師:「仕事だったのですか?」
女性:「そうです。」
医師:「昼食はおいしかったですか。」
女性:「いや、もともと昼は、サプリと飲み物程度です、ダイエットしていて」
医師:「それからどうなりました。」
女性:「仕事が溜まっていて早退もできないので、自宅に帰ったのは9時過ぎですが、だるかったですね。食欲も落ち気味で、オカユを一杯でした。熱は37度でしたが、平熱が低いんです、以前買った市販の風邪薬が残っていたので飲みました。」
医師:「それで どうしました」
女性:「翌日も仕事で、ぞくぞくと咽の痛みは軽くなったのですが、昨日から、鼻水が出てきて、咳も少しあって、熱も36度後半だし、今日は仕事の合間に時間が取れたので、きてみたんです。」
医師:「仕事が忙しくて、大変ですね。」と労います。次に、「今、困っておられる症状は、主に鼻水、たまの咳と微熱ですね。鼻水を止める作用の強い総合感冒薬を処方しましょう。大きな病気をしたか、薬のアレルギーとかないですね。薬ですぐ胃が荒れるタイプでもないですね。ハイハイ、あと うがい薬やトローチは使うのなら処方しますよ。」とここまでは一息です。
でも次で、悩むのです。抗生物質(最近では抗菌薬と言います)問題です。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 07:02Comments(0)診療の徒然に

2009年03月25日

◆医療の現在 自然治癒力 6

チルチルとミチルの青い鳥の話しは、1回聞くと、心に刻まれます。幸せは身近にあったとう気づきは、多くの人にとって腑に落ちる話しなのです。それぞれの人生の経験と照らし合わせて、腑に落ちるのです。
実は、この話しは、自然治癒力を考える場合の、良い喩えではないかと思います。
「病院の医師によって、匙を投げられた難病が、自然の恵みをエキスにした○○で、奇跡的に良くなった!」 ある種の健康食品の典型的なセールストークです。
勿論、末期がんの自然退縮というケースも稀に確認されています。
因みに“退縮”は、生物学の用語で動物の体でいったん形成された組織や器官が、生理的に萎縮または、消失する現象です。
胸腺は、心臓の前方にある、免疫組織の中枢の一つですが、加齢とともに退縮します。
自然退縮は、自然治癒力が働いて、ガンが自然に縮小→消失することを意味します。自然治癒力の最も劇的な実例というわけです。
この種のセールストークに、遭遇するたびに、私は、思わず、「ガンの自然退縮より、もっと劇的なのは、普通の状態で普通に生きていることじゃないのかな」と言いたくなります。
勿論、自分の病気体験を踏まえて、懸命に、語っている方には、禁句ですが。
生命現象の、奇跡は、青い鳥と同じで、何の変哲もない、日常にあるのです。ただ気づいてないだけなのです。
多田富雄氏は、著名な免疫学者ですが、免疫の研究をする一方で、雑誌「現代思想」に免疫現象についての、思想的論考を連載し、「免疫の意味論」という本を書きました。
この本は大佛次郎賞を受賞しましたが、さらに「生命の意味論」が書かれました。
「生命の意味論」の中で、超システムが生命の特徴的な姿ではないかと、述べ、それを、自己複製/自己多様化/自己組織化/閉鎖性と開放性/自己言及/自己決定 とまとめています。
免疫の意味論は、ウズラの羽を持ったニワトリ つまりキメラ生物を、実験的に合成するという話しから書き出されています。専門外の人にとっては、オドロオドロしいエピソードです。
こうした、論考が 遂に 生命の意味論 すなわち 普通に生きている生命への驚嘆に到るのは、とても示唆に富んでいます。
医療は、病気で困った方が扉を叩くことから、始りますが、その問題と付き合うことを通して、正常な構造と機能の奇跡を、認知する作業なのです。医学にとっては。
しかし、病気で困っているヒトにとっては、確実に、副作用なく、短期間に治ればいいのです。おまけに、安く治ればいうことないのです。
この食い違い、さらにヒトとヒトの作業なので、しかも 強者と弱者として 向き合うという構造になっているので、ルサンチマンが発生する危険に曝されているのです。どうして、このリスクを制御するのか。
多分、インフォームドコンセントが。切り札だとある時期考えられていました。
本当にそうか。
次回からのテーマです。
  


Posted by 杉謙一 at 06:48Comments(0)診療の徒然に

2009年03月24日

◆医療の現在 自然治癒力 5

これまでの議論を少し、振り返ってみます。
心身の不調を自覚すると、現代日本人の多くの人は医療機関を受診します。そこで医療的介入が行われて、時に、医師との齟齬が生じます。
自然治癒力に惹かれます。医療的介入をご破算にして、本来の生きる力に拠りたいという強い希求です。ひょっとしたら、こんなにこじれて、こんなに苦しいのは、もともとの病気のためよりも、医療な場で、様々いじられた故かもしれない・・・と。
本来の病気が難知性で、介入が患者や家族にとってキツイものであるほどにこの力は強まるでしょう。こうした、齟齬に向うエネルギーを増幅することを可能な限り、避けたほうが無難です。大きい、強い、たくましい こうしイメージは、エネルギーを増幅します。私に全て任せなさい。どうかするから。こうした態度・物腰もエネルギーを増幅します。
しかし、病気で受診する方は、他方で、大きい、強い、たくましい 医師を密かに求めているのです。神の手を持つ脳外科医に象徴されるように。
いったんこの期待が裏切られ、逆方向にエネルギーが向くと・・・。

前回、いちがいに近代医学が、強力な加入をすると言えないのではないかと書きました。
このことを少し、掘り下げてみます。
「世間の常識・医師の非常識」という法律家の書いた文章からの引用です。“医師による医療行為と暴力団の殺傷行為は法的には同じことだということです。・・・・法的には、診療行為から生じた死亡等の(患者に不利益な)結果に大きな関心を持ちます。これが放置できないとされる時には医療行為に積極的に介入することになります。従って医的行為は医的侵襲行為としてのみ法的評価の対象となるのです。・・・これらの法的制裁は医師に一定の不利益を課すことですから慎重な法的手続きの下で、違法か不法かの法的評価が行われます。そのやり方には二つの方法があります。一つは結果の重大性に重きをおいて評価する方法で、これを結果違法説といいます。もう一つは行為の悪性や不注意の程度に重きをおいて判断する方法であり行為違法説といいます。伝統的に、法は被害者の権利や利益を護ることに存在価値がありますから、前者が通説とされます。このため死亡や健康障害をもたらす医療行為は、発生する結果の重大性から判断されるとき容易に違法と評価されます。この意味で医療行為は法的評価の上では暴力団による殺傷行為と変わりがないのです。”
医療行為は、手術を見れば、明らかなように、現象的には侵襲行為であり、一般的もっとも重篤な結果である、死亡に対して、死亡診断書を書けるのは医師のみであることを考えると、近代医学・医療は圧倒的に強力に聳え立っているというのが、現実かもしれません。
一時期 “ガスターテン!”というコマーシャルが、流れていました。胃液の分泌を抑制する胃薬です。
薬局で購入できるように解禁されるまでは、医師の処方箋なしでは、入手できませんでした。医師の処方箋では、病状によって、10mg錠が処方されたり、20mg錠が処方されたりします。
このように、医療機関で処方される薬が、薬局で買えるように解禁される時は、薬の量を減らすのが、原則だそうです。
副作用への配慮のためですが、このこと一つとっても、近代医学・医療陣営は、強力なのです。だからこそ、自然治癒力への憧れが強まるというのかもしれません。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 05:53Comments(0)診療の徒然に

2009年03月23日

◆医療野現在 自然治癒力 4

前回、自然治癒力に惹かれる背景には、医療の人間関係(患者-医師関係)の、ルサンチマンが絡んでいるのではないかという考えを書きました。一般に近代医学は強力な、武器を駆使して、病気と闘うというイメージがあります。大病院の建物、大々的な医療機器、強力な薬物、処置、手術 いずれも恐れ入るしかないという感じです。
患者はひたす無力な存在として、近代医療に依存していく。
結果が良く、治療関係がスムースだと、問題なにのですが、齟齬が生じ、信頼が不信に傾くと、反動として、ルサンチマンが噴出します。
近代医学の治療で、そこそこに効果があがっている場合でも、一定の齟齬が生じている場合も多いと思います。慢性疾患の医療介入です。糖尿病療養はその典型です。
①糖尿病の体質自体は治らない。(付き合う病気である)
②食事制限という、負荷をいつも強要されているような気がする
③将来の合併症という、恐怖が提示されている。
療養自体がくびきと受けとられやすいのです。
こうして、糖尿病療養に圧迫を、感じている方が、例えば“ナチュロパチー”を知ったとします。
ちなみに、ナチュロパチーは、日本語に訳すと、自然療法の意味で、20世紀で体系化された、代替療法です。外科手術や強力な薬に頼らす、もっとマイルドな方法で、患者の自然治癒力を引き出そうという考え方です。マイルドな方法とは、骨矯正、マッサージ、薬草 水療法、温冷浴、浣腸法、鍼などいろいろです。それほどカッチリした、体系を持ってないのが、“ナチュロパチー”の特徴かもしれません。
こうした、“ナチュロパチー”を知ると、療養生活に圧迫を感じている糖尿病の方は、毎日、数時間 水浴して、1日1回、浣腸し、ハ-ブを飲もうと決意するかもしれません。
自然治癒力を引き出すことを願って。このように決意するについては、現在、病院でかかっている医師が、悲観的の説明(合併症の悲惨)を強調し、注意のくり返し(血糖値がとても高くて、食べ過ぎであろう)の中で、診療自体が煮詰まっているのと関係あるでしょう。
“ナチュロパチー”に、全面的に信頼を預けて、従来の糖尿病治療を中断するまでは行かないと思います。病院の医師に隠れて“ナチュロパチー”を併用するという場合が多いと想像します。
一般的には、近代医学―強力な介入 代替医療―マイルドで自然治癒力を重視 というイメージがありますが、かならずしもそうとは言えません。
例えば、カイロプラクティックは、19世紀末、パーマーというアメリカ人が創始したものです。
脊柱の関節間転が殆どの病気の原因で、カイロプラクターの手技で転位を定期的に補正すれば、良くなるという治療理論ですが、殆どの人に「あなたは、関節間転があるから、定期的に治療に通いなさい」と診断するのだそうです。
因みに、パーマーの息子が、事業としてのカイロプラクティックを、成功させ、巨万の富を築きましたが、パーマー自身は放浪者となり、息子を憎悪しながら、68歳で死んだそうです。
代替医療でも、激しく、強引なものの一例です。
逆に、近代医学の高血圧の治療でも、「診察室での血圧は高めだけど、今よりも薬を増やさずに様子をみましょうか」というタイプの医師もいれば、「高血圧学会の基準から見ると高いから、塩分の制限を一段と強化して、薬も増量して・・・」というタイプの医師もあると思います。
いちがいに近代医学が、強力な加入をすると言えないのではないかとも思いますが。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:53Comments(0)診療の徒然に

2009年03月21日

◆医療の現在 自然治癒力 3

前回に引き続いて、しつこいようですが、同じ現象を、異なった観点から見た例として、傷が治る問題→創傷治癒の問題を考えてみます。
外科手術で、メスで腹を切り、手術が終了すると糸で結びます。糸で結んだ時点で、傷が癒えたのではなく、その後、表皮、真皮、皮下組織を舞台に、血流のバックアップの下で、様々の細胞の活躍で、創傷は治癒していきます。しかし、不適当な縫い方をすると、傷はキレイに癒えません。ケロイド体質の人だと、上手に縫っても、ケロイドになるかもしれません。つまり、上手に縫う、創傷治癒の仕組みが発動する この両者が相俟って、傷はきれいになおるのです。
自然治癒力と医療的介入は、両者一体となって、治癒に到るのです。この過程が、スムースに実現する時は、こと改めて自然治癒力を意識する、必要はないのです。
ということは、治療関係において齟齬が生じた時、自然治癒力という言葉が浮上するのではないでしょうか。「抗がん剤は副作用がひどいから、自然治癒力を高める代替療法に切り替えよう」というように。
そう考えると、補完・代替・伝統医療に属する人が、自然治癒力を強調し、近代医学の中心である医師が、自然治癒力を無視したり、不快な感情を感じるのもよく理解できます。
近代医学・医療に、一定の齟齬を感じ、ある限度を超えた時、補完・代替・伝統医療の扉を叩くというのが、通常のパターンでしょうから。
保険証を持って、医療機関を受診すると、近代医学に基づく科学的な医療が公的医療保険の契約に従って給付されます。ゴテゴテした言い方で御免なさい。
こうした現代日本での医療を給付される過程で、しばしば齟齬が生じるのです。医療スタッフの態度や言い方が不愉快であったという問題から、重大な医療事故に伴うトラブルまで、様々な齟齬が生じるのです。
例えば、
①「病院からはなれて自由になる」 がんという病気体験を経た方の書いた本の題名です。
②「病院は病気の巣である。できるだけ近づかないほうがよい」 五木寛之氏の“養生の実技”の中の記載です。
③ある老女の発言「私も最近は、なるべく病院に行かないようにしているんですよ。この年になって、いろいろいじられたたくないからね」
下手に、医療の場に行くと、ろくな事はないという、警戒感が吐露されています。
こうした、医療の場において、患者の感じる齟齬の感情にルサンチマン(反感)という言葉を当てたいと思います。
今の医療の構造だと、ケースによってはルサンチマンが、生じてしまうのです。

補完・代替・伝統医療の陣営に所属する人々にとっては、錦の御旗の自然治癒力
近代医学・医療の陣営に属する人々にとっては、胡散臭い“自然治癒力”
自然治癒力がこうしたインパクトを持つ本当の原動力は、“自然治癒力”という言葉の背後にあるルサンチマン(反感)ではないかと思うのです。
ちなみに ルサンチマンは、哲学者のニーチェが、「道徳の系譜」で用いた用語で、弱者が、強者に対して抱く反感で、強い人間は悪いという道徳の源泉にある、情動(エネルギー)ということです。
医師―強者 患者―弱者 という図式で、診察室で対峙せざるを得ない医療介入構造は、一定のルサンチマンを作り出してしまう、宿命にあるということです。
勿論、これは医師の態度が横柄であるとか、言葉使いが悪いとこいうこととは、無関係です。最近のご時世ですから、医療側の態度・物腰は、時に卑屈になっているくらいかと思います。
ただ、病気での医療機関の受診は、患者にとっては、個人情報に始まり、自分のもっとも弱い部分を曝け出すことですから、患者=弱者←→医師=強者 という構造をとりやすいのです。
私の考えでは、社会学的には、医師は強者でもなんでもないので、前述の構造は擬似的なものです。医学部の入学試験が難関であるというような、関係ない情報が、医師=強者というイメージ作りを後押ししている面はあるにしても。
事実は、医師は強者ではないのです。
以上まとめると、自然治癒力は存在するのかという議論は、診療の場でのルサンチマンという問題に還元されるのではないかと思うのです。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:25Comments(1)診療の徒然に

2009年03月20日

◆医療の現在 自然治癒力 2

今度は、まったく観点を変えてみます。インフルエンザは、代表的な“流行り病”です。短期間に爆発的に流行し、数ヶ月で終息します。これを、祟りと解釈する集団がいたらどうでしょう。最近、その集団で、規律が緩んで、カミの怒りを買い、罰として病が流行ったという解釈です。その集団に所属する大部分の人が、その解釈を信じ、その集団の指導者が、お払いの儀式を施行して、しばらくしてインフルエンザが終息します。
指導者のお払いが、霊験を現したと構成員は確信するでしょう。 
つまり、ある現象は、さまざまな、解釈が可能であることです。
立場、立場で。
インフルエンザは、何故 よくなったのか。インフルエンザの流行は何故終息したのか。
①免疫力のおかげ。②自然治癒力のおかげ。③カミの怒りがとけたから。
以下、説明します。
①免疫力のおかげ: 近代医学とも接点のある解釈です。前回書いた説明も免疫学の用語を使って記述しました。
②自然治癒力のおかげ:免疫力と自然油力は同じなのか、違うものなのか。同じ意味で使用しているケースもあるようですが、私は違うと思います。例えば、花粉症は、免疫力が過剰に発動して、困る病気です。免疫力に対して、自然治癒力が必要です。
つまり、自然治癒力とは、病んだ状態から、癒された状態に、変化する。それも、医療的介入なしに変化するというニュアンスだと思います。
③カミの怒りがとけたから:インフルエンザの流行に対する、カミの怒り論を信じる人は少数でしょうが、現代日本でも、難病で霊的治療に頼る人は少なくありません。
現代日本に生きるかなりの人の対処法は、
突然の高熱、ふしぶしの痛み、倦怠の急激な出現→医療機関の受診→鼻腔から綿棒を入れて鼻汁を採取し8分後にインフルエンザAと診断→医師と相談の上、タミフルを5日間服用し治った
というものだと思います。
タミフルを敬遠して、漢方薬を飲む方、消炎鎮痛薬や点滴の対症療法に止める方、検査自体が嫌な方などいくつかのバリエーションがあるかと思います。
保険証のない若い方も散見する、最近です。そもそも医療機関に行かない方もあるかもしれません。
しかし、なにも手を打たない人は皆無に近いのではないかと思います。例えば、強度のウツで、何をする気力も失せひたすら臥床している人が、インフルエンザにかかったと仮定すると(人ごみに出ないので、そもそもかかりにくいでしょうが)、高熱の発症とともに、どうかしようと動き始め、かえってその間は、不活発から、抜け出すのではないかと想像します。
急いで、説明を加えておきますと、タミフルは、ノイラミニダーゼという酵素を阻害する薬です。ノイラミニダーゼは、インフルエンザウイルスが、感染細胞から飛び出す時に必要なもので、タミフルを服用すると、インフルエンザウイルスは、飛び出せなくなって、爆発的に増えることが、できなくなるということです。従って、タミフルはインフルエンザの病期の初期に飲まないと効果が期待できないとされています。
ちなみに“医療用医薬品の添付文書情報”を見ると、「治療に用いる場合には、インフルエンザ様症状の発現から2日以内に投与を開始すること(症状発現から48時間経過後に投与を開始した患者における有効性を裏付けるデータは得られていない)。」と記載されています。
話しを戻します。
インフルエンザのような急性の病気にかかると、ヒトはなんらかの対病気行動を起こすのです。現代の本のような社会、近代医療が行き渡り、国民皆保険制度が施行されている社会では、多くの人が医療機関を受診するという対病気行動を起こすのです。
受診された患者に対して、医師は、介入します。具体的には、問診―診察―検査―診断―治療(説明・処置・手術・投薬) という一連のながれです。
近代医学の陣営:病気が終息した時、介入とその効果に焦点を合わせる。
補完・代替・伝統医療の陣営:介入以外の部分、に焦点を合わせる
焦点の当て方が異なるだけで、別に対立する必要はないと思うのですが、何故 対立的になるのか。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:39Comments(0)診療の徒然に

2009年03月18日

◆医療の現在 自然治癒力 1

自然治癒力”という言葉を聞かれたことがあると思います。“自己治癒力”とも言いますし、このブログでも時々取り上げているアンドルー・ワイル氏は、“治癒系”という言葉を使っています。
他方で、最近、補完療法、代替療法が、広がっています。この二つに、伝統医療(中国伝統医学とインドのアーユルヴェーダが2大巨峰ですが)を加えた、補完・代替・伝統医療という分野があります。
この分野が、対抗的に意識している医療は “西洋医学”、“近代医学”、“正統医学”などと呼ばれている医学・医療体系です。
言わば、二つの陣営があるわけですが、最近では、統合医療という言葉もよく使われるようになりました。両者の良いとこを組み合わせて患者さんに役立つ医療が提供できれば、いいのではないかという一見反対しようのない考えです。
補完・代替・伝統医療 側でしばしば強調されるのが、“自然治癒力”です。
近代医学では“自然治癒力”という専門用語は、使われません。近代医学の用語は、見えるもの、普遍性をもって、定義できるものしか認めません。
例えば、血圧の数値にしても、上腕に巻く帯状のカフの幅、長さから、測定条件から事細かに定めています。厳密に定義され、規程された、データに基づいて、科学的真理を究明しようというわけです。
“自然治癒力”などという曖昧なものは、視野に入ってこないのです。こうした考え方で、注意したいのは、別に“自然治癒力”を否定しているのではないのです。視野に入ってこないのです。
例えば、血圧のデータに基づく研究をしようとして、肝腎の血圧の測定方法が、一定してない場合です。
座位で測定したり、臥位で測定したり、左右で測定したデータを、ゴチャマゼにして、研究し、データのとり方の杜撰なことが、判明した時、その研究は、嘲笑されるでしょう。方法論を厳密にする、従来の蓄積の上に、ほんの少しの新しい知見が得られるか得られないか、こうした世界で、切磋琢磨している医師にとって、“自然治癒力”というのはポカンとするしかない用語なのかもしれません。
具体的に“自然治癒力”を考えて見ましょう。2月にピークを超したが、まだそこそこに流行している、インフルエンザを例にあげます。
1.インフルエンザウイルスが気道の細胞に侵入する→感染の成立
2.インフルエンザウイルスは、細胞の中で増殖し、細胞から飛び出して、次次と感染―増殖―飛び出しを繰り返そうとします。
3、ヒトの身体もされるがままになってはいません。免疫系が発動します。マクロファージ、リンパ球、免疫グロブリン、インターフェロンなどが、一定の順序で、作動していきます。
4、イメージとしては、ボクシングの達人が、道を歩いていて、通りすがりの他人に、突然殴られて、混乱し、数発 喰らったが、怒りとともに態勢を立て直し、元来持っているボクシングの技を、駆使し、形勢を逆転し、相手を打ちのめしたという感じです。
5、インフルエンザ感染に戻れば、キラーT細胞が、インフルエンザウイルスが感染した細胞を次々に殺し、感染細胞から、大量に飛び出してくるインフルエンザウイルスを、待ち構えていた免疫グロブリンが中和してしまうのです。
6、インフルエンザに感染した人の身体感覚としては、突然の発熱、身体の節々の痛み、なんとも言えない倦怠感、気力の衰え、食欲の低下、に加えて風邪症状(喉の痛み、鼻水など)が、激烈に生じ、4-5日の高熱のあと、苦しさがピークを過ぎ、発症から10日も経ると、嘘みたいによくなったということになります。勿論、症状の激烈な時は、仕事、受験などは遂行できません。いくら、根性を奮い起こしても。
こうして、元来、身体の虚弱な方は、別として、そこそこ体力のある殆どの方は、インフルエンザは、自然に治る病気です。
上記の一連の出来事を、「インフルエンザに感染したが、“自然治癒力”が働いて、自然に治った」と表現しても、特に不都合ではないかもしれせん。
私は、上記の出来事を、免疫学の用語を用いて説明しました。その流れでは、「インフルエンザに感染したが、自分の免疫力で、直った」と表現できます。これだと、近代医学の立場からも、了解できます。免疫学での、様々な用語 マクロファージ、リンパ球、免疫グロブリン、インターフェロンなどは、厳密な学問的対象で、少しでも新しい知見を得るために、専門家の間で日進月歩の競争が繰り広げられていることは言うまでもありません。
次回に続きます。
  


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2009年03月16日

◆医療の現在 治すということ 5

悪い知らせを告げる問題」のポイントの一つは、相手が告げられた事実をどう受け取るかです。
「糖尿病?! 癌よりもイヤな病気になった・・ 」と受け取る方もいれば、「糖尿病、たいしたことないな、とりあえず、痛くも痒くもないし」という方もあります。最近では「他糖尿病? ナニ それ。 始めて聞く病気だけど」という方は殆どいなくなりましたけど。
人それぞれです。その方が、糖尿病について 予め持っている 知識やイメージで大きく変わります。
悪い知らせだと、目の前の患者さんが、ショックを受ける程度を、見定める作業が、一番重要です。治そうと挑戦する医師にとって。強いショックは、治す仕事を遂行する上で、必ずしも マイナスでは ありません。
ショックが強いということは、例えば、
否認→“私が糖尿病! 嘘でしょう!” 
怒り→“この 病院の血糖測定の器械 大丈夫なのかしら。 血糖228って、本当なの”  かけ引き→“最近、テレビで宣伝している 血糖が高めの人にというお茶を、こっそり飲んで、また来てみようかしら。今日のとこはとりあえず失礼して”
抑うつ→“もう 大好きなチーズケーキを心ゆくまで食べることもできないのか、気分が滅入るね”
これらの、感情と思考が、一瞬にして、頭を駆け巡るのです。
ガンの告知問題で、「ガンという言葉を、聞いたとたん頭が真っ白になって、先生が何を言われたのか、覚えてなくて。傍の看護師さんが、心配そうに、私を見ていた表情は覚えているのですが」という類の体験談を、目にしますが、こうした語りが吐露されるのは、或る程度の時間が経過した後であることは言うまでもありません。
否定的な感情が強いということは、一転すれば、強い 療養意欲になるということです。
高いエネルギーは、どちらにでも向い得ますから。
一番のポイントは感情部分での転回です。
それさえ、目処がつけば、後は、具体的な方法になります。必要な薬の処方になります。医師、管理栄養士、看護師 などの専門職は耳にタコ のようにしょっちゅう 取り交わされている情報です。
“動機付け”という言葉も、一時よく使われました。患者教育における重要なステップとして。
段階的変容モデルですと、前熟考期→熟考期→準備期→実行期→維持期 と大きく分類し、その段階に相応しい 働きかけで、行動変容が生じる可能性が高くなると説きます。
これらは、一定の方法論のもとに、研究して、得られた統計的真実(有意差)です。
否定的な感情が転回する、きっかけは何か。
診療現場で沈思すると、どうもピンときません。
私 治す人 あなたなおされる人 という役割が、当然のように前提されているのですが、そこが現場感覚と異なるのかもしれません。
病気(シックネス)は患者にとっては、困りごとです。イルネス、自家製の病です。
生物学的医学を修得し医師免許証のもとに「医業」をなす医師にとって病気(シックネス)は疾患(ディジーズ)です。
診察の現場は異なった世界の住人の出会う場です。
そこで、「悪い知らせを告げる問題」が生じた時、患者に生起する否定的感情の転回の、勘所に気づくことができるにか。
治すということのポイントのひとつのような気がするのですが。
次回からは 自然治癒力を考えます。
  


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2009年03月14日

◆医療の現在 治すということ 4

前回までの、やり取りで 治療的介入をするための、セッティングができたと感受しました。
これは、患者である女性と医師である私が、共に そう感受することが、ポイントです。言葉で確かめるわけにはいかないので、私の感覚で、判断するしかありません。一定のリスクをとって。
10時間 絶食して検査した血糖が104mg/dlの時、その値で糖尿病と言えるか?といった類の知識は、クイズ形式の言葉で、簡単に確認できますが。
セッティングができたという判断のもと、私は、今 ○○さんに生じている事態を手短に描写しました。
インスリンという糖代謝の、核になるホルモンの極端な作用不足で、細胞はエネルギー源である、ブドウ糖を燃やせないこと。
結果的に専ら、脂肪を燃やしてエネルギーを得ていること。
 脂肪に偏ったエネルギー産生をするとケトン体が異常に増加してくること。
ケトン体が異常に増加すると、きつくなり、吐き気が出て、さしあたり急激な体調不良に陥ることも多いこと。
3ヶ月前から尿ケトン体が出現しながら、普通に生活できていたの不幸中の幸いであったと。次に、今のケトン体の問題は、数日―数週間―せいぜい数ヶ月で、破綻するか回復するか決着する問題だが、実は糖尿病には、数年―数十年の時間単位の問題らあること。
それが、血管障害であること。
尿蛋白陽性は糖尿病で腎血管が傷んでいる結果であることが疑わしいこと。糖尿病で腎臓が傷んで、腎不全になって、人工透析に導入される人が、毎年、2万人に迫りつつあることなどです。
医師:「・・・・ということです。私が○○さんの。尿糖、血糖、ヘモグロビンエーワンシーはともかく、尿ケトン体と尿蛋白にショックを受けた理由です。」
女性:「・・・・」
表情と気配の察知に、神経を集中します。
まず、1週間の暮らし方を指示しました。具体的に、相手の日常生活との整合性をつき合わせて、プランを練り上げました。
薬は、腸での糖分の吸収を抑制する、軽いものです。本当は処方しなくても良いのかもしれませんが、本日のセッティングでは、どうしても必要だと思いました。
医師:「1週間後にいらしてください。朝食前の血糖と尿ケトン体を見て、その結果で考えましょう」
女性:「ハイ」
1週間後の再診を約束して、帰られました。表情には、少し 希望も感じました。

E・キューブラー・ロスは、「死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話」という本を書きました。末期がんの人々との対話をベースにした著作です。
30年以上前ですから、がん=死病と考えられていた時代です。
この本で、末期がんの方が、自分の運命に直面した時の心境として、否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容、希望 というものが、描かれています。
現在の私達から振り返ると「末期がんの人でも、普通のヒトなんだよね」という当たり前の話ようにも思えるのですが、1960年代末には、画期的な知見だったのです。
E・キューブラー・ロスの画期的知見は、一般化され、現在では、「悪い知らせを告げる問題」とも呼ばれています。医療の場では、とても重要な問題だと思います。
今回、取り上げた40代後半の女性も、「悪い知らせを告げる問題」でもあるのです。
次回に続きます。
  


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2009年03月13日

◆治すということ 3

医師:「まず、血糖と尿糖との関係ですが、血糖が180を超すと、尿糖が漏れてきます。朝食前は、多分 血糖が一番低い時間でしょうから、その時間で血糖が200以上あるというのは、既に、尿糖が たくさん漏れてるということですから、3ヶ月前の朝食前血糖248 尿糖3+ と 今回の朝食前の血糖228 尿糖3+は、理屈に合っています。
ここまでは、いいですね。」
女性:「ええ」
医師:「次に、ヘモグロビンエーワンシー 11.2% という この 数値ですが、ご存知ですか」
女性:「いえ 知りません」
医師:「実は、血糖というのは、いつも変動しているのです。血圧ほどではありませんがね。車に例えれば、瞬間速度のようなものです。アクセルを踏めば早くなる、ブレーキを踏めば遅くなる、ですね。 血糖も食べれば上がる 食べない時間が長くなると下がるというわけです。車に戻れば、平均速度という考えがありますよね。ヘモグロビンエーワンシーは、血糖の平均なのです。概ねこの間2ヶ月の血糖の平均を示しています。」
女性:「ハァ」
少し、女性が引きます。理屈っぽくて、ピンとこない話しと感じているようです。ここは、私の熱意で、引っ張る必要があります。今度は、私が少し身を乗り出します。
医師:「実は、朝食前の血糖値とヘモグロビンエーワンシーには、関係があるので、簡単な計算で、予測できるのです。21で割ればいいのです。今、やってみますね。」
と、二人の前の机に紙を広げ、計算機を置きます。
医師:「こうして 計算すると・・ 3ヶ月前の248÷21は11.8% 今日の228÷21は10.9%ですね。実際に、今日測定したヘモグロビンエーワンシーは ご覧のように11.2%でした。
つまり 血糖2個、尿糖2個 モグロビンエーワンシー1個 と ○○さんの5個のデータは 食い違いが少なくて、信頼できる 結果なのです。」
女性:「・・・」
複雑な思いのようですが、理解はされたような印象です。
医師:「つまり、半年前からは、かなり血糖の高い状態が続いていたことは、間違いないだろうということです。とても お元気で普通に生活してらしたのですが。」
女性:「いや 去年の夏はやたらと喉が渇きましたし、秋ごろから、疲れやすくなって、集中力が落ちてきましたね。」
少し、女性の防衛的な姿勢が軽くなってきたようです。
医師:「そうですか。喉が渇くと、飲みますよね。どんなものを飲みました?」
女性:「いろいろです。スポーツドリンクが多かったけど、お茶、サイダー、ジュースとか」
医師:「スポーツドリンクとかは、甘味が少ないようですが、5%前後の糖分が入っていますから、スポーツドリンクを血糖測定器で測ると5000前後になるという理屈です。」
女性:「ヘェー」
と女性も興味を引かれます。
医師:「糖尿病じゃない人は、食事前は100未満の血糖。食後1時間前後のピークでも140食べて、2-3時間もすれば、100以下という範囲に調節されているわけです。○○さんの場合は、1日中全身が砂糖漬けになっていることは確からしいですね。」
と 私も一気に畳み込みます。“悪い”、“ひどい”、“とんでもない”といった否定的な価値判断を含んだ用語はなるべく使わないことにしているのですが、“砂糖漬け”という表現は敢えて使用しました。さらに、進みます。
医師:「でも、さきほど 言ったように ○○さんの検査結果で本当に問題なのは、尿糖や血糖やモグロビンエーワンシーではなくて、実は、尿蛋白と尿ケトン体なのです。」
女性:「ハイ」
と女性も、拝聴の態度に変わってきました。
次回に続きます。
  


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2009年03月11日

◆医療の現在 治すということ 2

数分して結果が出ました。
尿糖3+ 尿蛋白3+ 尿ケトン体2+  朝食前の血糖228mg/dl ヘモグロビンエーワンシー 11.2% でした。
診察室の前に、健診と本日のデータを置いて、横に並んで 座った二人が、一緒にデータを見る位置となりました。どうしても、女性にとって、受け入れたくない情報を告げざるをえないので、告げられた情報を拒否するなどの構えを減らすことが、今 一番肝要です。
1+1は2ですね と、中立的に、淡々と、事実を、分かりやすく説明できるか。
医師の私が陥っているショック、愕然を、急いで乗り越えて、次の視界な場に歩み出ること。
医師:「まず、朝ご飯前の血糖228 尿糖3+というのは、3ヶ月前の血糖248 尿糖3+という結果と大体似てますね。」
女性:「そうですね。」
医師:「この3ヶ月の間、自分なりに生活を変えてみましたか。食事を変えるとか、歩いてみるとか。」
女性:「同じように生活してました。とにかく 毎日 忙しくて」
医師:「そうでしょうね。 健康食品とかは?」
女性:「友達に健康食品に詳しいのもいるんですが、結構 高いし」
医師:「その点は、私もそう思います。ところで、生活の変化のことを聞いたのは、検査結果が、正しいかどうかを確認するために 聞いたのですが、私の予測どおりでした。」
女性:「エェ どういうことですか?」
医師:「このデータを、一緒に確認してみましょう。尿蛋白と尿ケトン体は3ヶ月前も今回もそこそこに出てますから、多分 この間はいつも出てたんでしょうね。」
女性:「でも、先生 私は糖尿とか、血糖とかが問題なんでしょう。尿蛋白とかはともかく、何ですか、その尿ケトン体って」
医師:「敵は本能寺 という言葉もあるでしょう。○○さん の場合は、実は 尿蛋白と尿ケトン体が、尿糖2+より 大変なことなんです。」
女性:「ヘェー 大変なんですか。」
予想外のことから、攻撃が来たので、女性の防衛体制にスキができます。
尿糖が出ている、血糖がとても高い 口養生だという ストーリーは、女性には聞きなれた話で、有効刺激には なりません。
売らんかな の健康産業のプロモーターにとっては、あたりまえのテクニックでしょう。私は、医師なので、医学的な知見に基づいて、患者の利益を第一としますが、ヒトを動かすテクニックは、健康産業のプロモーターに伍して、駆使せざるをえません。
医師:「次に、この 尿糖と血糖の結果を、一緒に確認していただけますか。多分 よくご存知でしょうが。」
ドレドレ という感じで、女性が診察室に、少し、身を乗り出してきます。拒否と防衛か、自分の身体のデータへの 興味に変化してきたのです。
現時点では、二人の会話は生産な方向に向いてきたようです。
次回に続きます。
  


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2009年03月09日

◆医療の現在 治すということ 1

40代後半の女性が見えました。検診機関からの紹介です。
データによれば、朝食前の血糖248mg/dl 尿糖3+ 尿蛋白2+ 尿ケトン体2+
数年来両方の足先がジンジンするが、最近は軽くなった、数年前に眼科医に糖尿病で、眼底が傷んでいて、将来、目が潰れるかもしらんと言われたことがあるそうです。
糖尿病診療の経験を積むと、ショックを受け、愕然とするケースです。
まず、ここまでの情報を入手するのが、医師に言わせれば 一苦労でした。
最近、多くの診療所で、受付時に問診表を渡して、初診の方に書いていただくという方式をとっていると思います。
私の所もそうですが、問診表は「本日は、どういうことで受診されましたか?」と“主訴”を書いてもらうことから始っています。
“検診で血糖が高いと言われた” と書いてありました。
最初に問診表を見て、「ああ、糖尿病の初診の方だな」というのが、私の第一印象です。
本来、糖尿病の方を診療したいという構えで、開業しても、なかなか、新規糖尿病患者さんには来てもらえないという現状ですから、私としても当然、気合が入った状態で、患者さんを待ち受けます。
診察室に40代後半の女性が入ってこられました。お互い 初めての出会いです。
医師:「今日は、はじめまして」
女性:「ハー」
私が、女性から感受したのは、不安、防衛、できるなら早くココ(医療の場)から逃げ出したいという雰囲気でした。普通、私の初対面の、言葉に「よろしく お願いします。」というような趣旨の挨拶を返す方が多いのですが。
医師:「○○さんですね。ここに、3ヶ月前の健診の報告書が、ありますが。あなたのですね」
女性:「ハア。」
医師:「健診の結果説明で、ドクターから何と言われましたか?」
女性:「とにかく、どっか 病院に行くようにと。」
医師:「3ヶ月前のことですね」
女性:「とにかく、仕事が忙しくて。家庭でも、子供の学校のこととかいろいろあって」
医師:「そうですね。現代社会はやたらと忙しいですからね。でも3ヶ月も他のことに取り紛れていたら、健診結果のことなんて、忘れてしまう方も多いのですが、よく忘れずに本日 見えましたね」
 このあたりは、褒める口ぶりです。
女性:「いや 実は・・・」
と、ここから、女性の口がほぐれ始めました。表情、雰囲気も変わってきました。
これまでのことを語り始めました。
数年来両方の足先がジンジンするが、最近は軽くなった、6年前に眼科医に糖尿病で、眼底が傷んでいて、将来、目が潰れるかもしらんと言われたことがあること。
6年前、病院での、眼科医とのやり取りがショックだったのです。将来、目が潰れるかもしらんという言葉です。自分が、受け入れ難い情報に、フタを閉ざしたのです。心中、それに拘りながら、閉ざしたのです。現状はよく見えていることが支えだったのです。
今度は、医師である私がショックを受け、愕然とする番です。そこは、敢えて表情に出さず、
医師:「3ヶ月前の健診結果と○○さんのお話しで、大体の様子は分かるのですが、とりあえず、尿と血糖とヘモグロビンエーワンシーというのだけ検査させてください。オシッコを少し採ってもらって、耳から少し 血を出すだけです。耳からだから痛くないですよ。ところで本日は食事をしてきましたか?」
女性:「いや、朝食は抜いてきました。当然、検査と思って」
と、検査への抵抗はないようです。一定の治療関係が、できてきたので、お互いの会話もスムースになってきました。
次回に続きます。
  


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2009年03月07日

◆医療の現在 治るということ 4

均衡―揺らぎー均衡 を拘って記述してみます。
①均衡Aの状態
②均衡Aの中での不断の変動(表面上は平穏な日々の生活)
③些細な歪みの蓄積が一定のエネルギーを蓄積していく
④海上に浮かび上がってくる(心身の異常が認知される。しばしば急に生じたように認知され驚く)
⑤心身の異常に焦点が合う。
⑥胸が苦しい、頭が痛い などの その人独自の表現をとる。
⑦なんらかの対応をしようと決断する。
⑧時に医療機関を受診する。(この場合、医師は、その人独自の表現をとる訴えを“主訴”と命名し、臨床医学の基点になる)
⑨医療機関への受診以外に、様々な対処法がある。身近な人への相談、健康食品、宗教的な場に赴く、自分なりの体操、音楽を聞く など等。
こうして、均衡の崩れた状態に対して、一石が投じられるのです。この一石が波紋を拡げるのですが、この波紋が、別の均衡Bに達した時、“治った”と、会得するのです。
別の均衡Bであることは、意識されてない場合も多い。多くは、“もとに戻ったと”と理解している。
時に、“○○さんは、大病を患って、 一回り大きくなった”等という事もありますが、ちょっとした、心身の異常も、一つの均衡から、次に均衡への移行という、ちょっとしたドラマが生じているのです。
怪我をして、皮膚の一部が欠損します。血管が破れ出血する 脳は痛みを感じる、心理的な動揺、傷口への応急的手当て、損傷部への白血球の集合から始る免疫系の発動、こうした様々な、動き、傷への対応 の中で、時間が流れ、1週間たつと、創傷治癒という過程が完成し、新たな皮膚に覆われ直ったとします。
その時は怪我をする以前とは、異なった均衡なのです。微細に自分の心身を、スキャン(精査)することができれば。
胃がんで胃切除をしたというような病気体験を経ると、これは体感できますが、ちょっとした病気でも、本当はそうなのです。
1)治るということは、病気以前に戻ることである。
2)治るということは、病気以前と別の自分に変身することである。
この二つの違いは、大きな違いなのではないかと私は思います。医療の場で、表立って意識されていない問題ですが。患者も医師も意識していない。
しかし、実は、治療への反応、予後に大きな影響を与えている問題。無意識に押し込められた記憶が、意識的な振る舞いに大きな影響を及ぼすように。
以上の考えを踏まえて、次から、治すということを考えます。治ると治すは相補的な関係にあることは言うまでもありません。
  


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2009年03月04日

◆医療の現在 治るということ 3

複雑な感情というのを自分なりに考えてみます。
「ぼちぼち 身体を動かしてみたらいかがですか。 適度な運動で次第に、運動対応能力を上げていくとか。」という表現で、自分なりに提示したやり方が、Kさんの信頼を得られなったこと。
大病院を受診しての検査を経て、漸く事態が動き始めたことに対して抱いた私の不快の感情。そこには、“しがないクリニック”と“大病院”を対比させる、自分の構図、医師としての技量は、劣っていないはずだという自分の自尊とかが絡まっていそうです。
つまり、様々な考えや感情の泡立ちが時間の経過とともに変動しているのが、私の生きることです。
ということは、Kさんが生きる様もまた同じでしょう。同じ、人間に属しているのですから。
Kさんも、健康管理に熱心な奥様、多くのヒトが持つ、食べたい でも 太るのが気になるといった葛藤、階段を登ると起こる息切れ、検査では異常ないと言われること など等の状況の中で、様々な考えや感情の泡立ちが時間の経過とともに変動しているのです。
「多分」と私の考えは、展開します。
「色んな、医療機関に行く、次に知人の紹介で、自分診療を受け、行き方云々で、ピントのずれた医者だという感想を持つ、次に大病院で検査の洪水を通過して、異常なしと相手にされなくて、怒りの感情を持つ こうした時間とともに生起した、様々な出来事が、Kさんを次の場所に押し出したのだ。」
この考えは、私をホットさせ、気に入りました。「そうだ、そう考えることにしよう!」

以前の、“医療に関する信頼と不信”の中で、“治るという実例をよく観察してみると、ある病気に対して医師がある治療をした時、本当に治療効果を、あげているのは、実は、その治療法ではなくて、患者の信頼ではないかという考えです。”と書きました。
スーと頭に入ってくる考えですが、少し吟味してみます。
まず、“治る”ということです。デキモノが取れた、熱が下がった、痛みが軽減した、様々な経験を通して、私達は“治る”を知っています。
Kさんの問題は、“階段を登ると息切れがする”ですが、デキモノがとれるように、息切れがしなくなることはなさそうです。
①50代後半という年令 加齢問題
②奥さんとの関係 家庭問題
③階段を登ると息切れがする 身体問題
④検査しても異常がない  医療との遭遇問題
他にも色々あるのでしょうが、様々な問題が、からまりあった中で、拘りが膠着して、次に均衡への移行が要請されていたのではないか。
勿論、Kさんには、全貌は見えない。拘りが膠着した渦中での、光景しか見えない。すぐ傍の光景です。渦中にある時、ヒトはあがきます。罠に嵌った生物が、あがくように。
医療機関を遍歴するうちに、次第にKさんの裡で、一定のまとまりが、作られていったのです。まだ、意識下にあったのですが。
最後に封を切ったのが、大病院での検査の洪水でした。
決して、親切でも親身でもなかったのが、示唆的です。
そして、Kさんは膠着を抜けて、次の均衡に移行し、時間が流れはじめ、ふと気がつくと階段を登っても息切れがしなくなっていたのです。トレーニング効果で運動への耐性が向上したのです。
“或る均衡から、次の均衡に移行する” こうした“治る”も、あるのではないでしょうか。デキモノが取れるような“治る”とは違って。
次回に続きます。
  


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2009年03月03日

◆医療の現在 治るということ 2

勿論、安静時の心電図は正常でした。食後3時間の血糖は、146mg/dl で、太鼓判を押せるには少し高いが・・というとこで、一応 ブドウ糖負荷試験の話しもしましたが、ご本人も そこまではという考えのようです。

医師:「安静時の心電図は、まったく正常です。勿論、狭心症などの病気は、安静時の心電図だけで、病気ではないと断定できないのは ご存知の通りです。そうなると、原点に戻って、症状が一番大切になります。階段を登った時の息切れが何かですね。」
男性:「妻もそれを心配してね。最近の世の中は、メタボ、メタボ って 煩いので、どうかしたいのですがね。運動すれば 痩せるとも聞くのですが、息切れがするんでね。」
医師:「後は、肺の機能が落ちているかどうかですが、5年前に煙草も止めておられるし、他の病院で肺機能検査もされて、正常だったとのお話しなので、多分、肺からの症状でもないのでしょう。」
男性:「結局、私はどうしたら いいのでしょう。」
医師:「心臓とか肺には、大きな異常はないのでしょうから、ぼちぼち 身体を動かしてみたらいかがですか。 適度な運動で次第に、運動対応能力を上げていくとか。」
男性:「息切れさえなければね。 妻も心配して。」
医師:「そうですね。50代後半になると、だんだん 身体の機能も低下してくるのかもしれません。老化のはじまりですね。年を取ることは どうしようもないので、結局、上手に年をとるということでしょうが。」
病気ばかりに焦点を合わせず、もっと広い視野で、生きること、老いることを考えるというのが、医師としての私のスタイルなので、どうしても、“生き方”を論じることに傾くのです。
「そうですか・・・」と 肯いて、男性は診察部室を後にされました。

後日談です。知人の話では、件の男性は、私の診察を受けて、やや期待外れだったとのことです。もっと、色んな検査をして欲しかった、別に 生き方のことを聞きにきたのではないのだがということのようです。ゆっくり話しを聞いてくれたとか、応対が良かった点は評価するがとのこと。
なかなか むつかしいな と呟いた私でした。

更に、後日談があります。知人からの続報です。男性は、やはり 気になって、検査機器の揃った、活動性の高い病院を受診し、外来で、たくさんの検査を受け、機械的に短時間の、結果説明を受け、一切異常ないと、一方的に突き放され、怒りの感情を、引き起こされたそうです。
ヒトを機械の故障を発見するコースに乗せるように扱って、異常なければ、ハイ、次の方というような対応だったというのです。
検査機器の揃った、活動性の高い大病院は、さぞかしと私は納得しました。

それから、数ヶ月して、知人に会ったついでに、再び 男性(Kさん)の話しが出ました。
「Kさん、最近、ジョギングを始めたらしいですよ。階段も平気になって、お腹の周りも、スリムになってきたと喜んでいるそうです。」
「へー、それは良かったですね。」と Kさんの変化を、喜びながらも私はやや複雑な感情を待ちました。
次回に続きます。
  


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2009年03月02日

◆医療の現在 治るということ 1

知人の紹介で、50代後半の男性が見えました。○○大学の工学部の先生です。
主訴は階段を上ると、息切れがするというものです。自宅で寛いでいる時にも胸に違和感を感じることもあるとのこと。もう数年来の 悩みです。
数箇所の病院を受診して、心臓に焦点を合わせた検査をされたそうです。
心臓に人為的に負担をかけて心電図を取るという負荷検査もしたが異常ないとのこと。身長164cm 体重71kg と 軽度の肥満体で、最近、話題の腹回りは88cm とメタボとのこと。愛煙家でしたが、奥様の強い要請で、5年前に禁煙しておられます。アルコールは飲めない体質だそうです。
知人からの情報では、奥様は、料理の先生で、かつ食べてダイエットする方法とか、身体に良い食事とかについて、とても関心があるとのこと。当然、ご主人の健康管理にも情熱を傾けておられ様子です。

医師:「専門病院でかなり本格的な検査を受けておられるようですね」
男性:「そうなんです。 でも、たいしたことないと言われて。でも階段を上ると息切れがするし、自宅でテレビを見ていても胸のあたりがモヤモヤすることがあるんですよ。」 
医師:「最近、一段と、悪化しているのですか」
男性:「そうでもないのですが、良くはなっていないですね。」
医師:「これまで、検査した病院では、どんな説明だったのですか?」
男性:「心電図やエコーでは異常ないと。中性脂肪が少し高くて、糖尿病のおそれがあるから、あと5kgは痩せた方が良いとか、大体そんなところです。」
医師:「でも階段を上ると息切れがするのですね。」
男性:「そうなんです。妻も心配して。」
医師:「奥様は料理を、教えてらっしゃるそうですね。」
男性:「野菜と肉を中心にした、身体に良い食事を工夫してくれているのに、なかなか体重が減らなくてね。」
医師:「肉?」
男性:「炭水化物を制限すれば、やせるらしいですよ。低インスリンダイエットといって。妻は、ダイエット情報には 詳しいですから。」
医師:「肉はお好きですか?」
男性:「大好きです。勿論、米も好きですがね。」(笑)
知人からの、事前情報では、いろいろ検査を希望しているとのことでした。
初診料や再診料が低く設定されている、現在の診療報酬では、検査をしないと、診療単価が低いご時世ですから、色んな検査をして欲しいという言葉は、エコノミカルには有難い言葉ではあります。
しかし、専門病院で負荷試験までしてあるので、検査しても、仕方ないようでもあります。
血圧も正常で、腹回りが85cmを超していると中性脂肪がやや高めなのを除くと、これといったリスクもないようです。
リスクについてですが、奥様とご主人は、現在の症状が、心臓病の前触れではないかと、心配のようです。医師の立場からは、心臓を栄養する冠動脈の血流障害が生じているのかという問題に還元されるわけですが、そう考えると冠動脈を障害する危険因子の有無という問題に行き着きます。冠動脈を障害する危険因子=リスクなのです。
具体的には、食後血糖の上昇、血圧の上昇、血液の脂質異常、喫煙 などで、根っこの問題が、男性なら腹回り85cm以上という話になっているわけです。
結局、安静時の心電図と食後の血糖(たまたま朝食を済ませて見えていたので)だけを、調べさせてもらうことになりました。
次回に続きます。
  


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