◆スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2008年10月11日

◆医療の現在 それは慾です 3

「それは慾というものです。」この言葉をどう考えるか。
医師の思考と思いを推測するに、
『急に背中に激痛が生じたのに、接骨院に行ったりして、其の挙句、ウチに飛び込んできて、直ちに診断を確定し、緊急治療した自分達の奮闘で“2週間以内に75%が死亡する”胸部大動脈解離をなんとか助けたんのだ。生きているだけでも感謝に値するよな。今も、自宅で生活できて、血圧の薬さえちゃんと飲めばいいんだから、負担の軽い治療だよな。時に血圧が下がりすぎてフラフラするのは、解離の再発のリスクを考えればしかたない。それなのに やれアメリカに行きたい、今の治療はいつまで続けるのですかとなんてわがままなんだ、外来中の自分の前には、山のようなカルテ、早くいつもの薬を処方してこの女性の診察を終了し、次の患者さんにいかないと・・。』
76歳のこの女性の思考思いを整理すると
『自分はこの世の努めはすべてやり遂げ、こころ残りはない。ただ、苦痛なく毎日を過ごし、したいことをして、できればポックリ死にたい。昔から、病院は苦手だったので、なじみの整骨院で腰痛の治療をしてもらっていた。それが、こんなことになってしまって。先生や看護婦さんが総出でいろいろしてくれて助けてくれたのは感謝している。でも月に一度、戦場のような循環器外来で午前中かかって、数分の診察を受け、薬で血圧が下がってフラフラするし。塩気の制限、生きがい畑仕事も少しだけと言われるし。先生は忙しそうで相談しようとしても、あれも駄目、これも駄目 一体これからどうなるのだろう。挙句の果てに それは慾というものです なんて。私はいつ死んでもいいと思っている。ただ、こんなに色々制限されて、禁止されて、生き続けるのはたまらない』
二人は、どうしたらお互いを理解しあえるのでしょうか。
若い男と女が出会って、心がときめき、いくつかの試練を乗り越えてついに結ばれる。めでたし、めでたし。ラブストーリーの原型です。ここで話が完結するとスッキリするのですが、生きている以上、その後の時間が続いていきます。
一件落着の後の時間です。医療から離れていまえるのならノープロブレムです。
例えば、白内障の手術とか。
しかし、医療的管理の下で行き続けつる運命になってします。
劇的な治療―感動―感謝の後に、その後の時間が続いていくのです。
胸部大動脈解離のその後について教科書の記載を復習しておきます。
「急性期を乗り切ったすべての患者は、長期にわたる降圧薬による治療を行わなければならない。最も重要な合併症は再解離、脆弱化した大動脈における局所動脈瘤の形成である。
これらの合併症については、いずれも外科手地修復が必要である。」
この問題をどう考えたらいいのか。
次回に続きます。
  


Posted by 杉謙一 at 06:03Comments(0)診療の徒然に