2009年04月22日

◆医療の現在 余所行きの医療と普段着の医療 6

そもそも、医学・医療の原イメージには、奇跡を呼ぶ魔法の杖を振るうという部分がつきまとっています。
名医や神の手を持つ脳外科医は、ただのオジサン、オバサンでは困るのです。

後光がさすと昔は言っていました。
最近では、「オーラがある」と表現するようですが、普段着を超えたなにかが 漂っていないと、医療における効果は発現しないのではないかとさえ思えるほどです。
オーラは、見られる人と見る人の関係の中で顕れます。
医療におけるオーラは、患者―医師関係の中で顕れます。

ヒトは、普段、様々な場で様々な刺激に反応しながらなんとか、やりくりして、日々生きています。やりくりが。滞り、心身の不調を自覚した時、医療機関を訪れます。
そこで、問診―診察―検査―投薬・処置 などの通常の医療を受ける裡に、患者―医師関係が、生じます。こうして、滞りが、解かれ 再び、日常が流れ始めると 治ったということです。

この時、薬が効いたと一般に解釈されていますが、薬効もさることながら、患者と医師の出会いから始る、一連のプロセスが、患者の滞りに、一定の揺さぶりをかけ、治癒への、引き金を引くのです。

勿論、揺さぶりが悪化への引き金を引く時もあります。
補完・代替療法の一部では、“好転反応”という言葉が、用意されていて、これらの療法を受けて、不快な症状が出現したら、良くなる前の徴候だと、説明しています。
近代医療では、副作用、副反応、有害事象などとそのままに表現していて、良くなる前の徴候などと注釈はつけません。

余所行きの医療であろうが、普段着の医療であろうが、患者にとっては、医療とのかかわりの中で、揺れ、治癒への方向へ引き金が作動したらいいのです。
医師にとっては、余所行きと普段着の混じり具合を、いつも念頭におき、両者のブレンド比を加減しながら、治癒への促進を探るということかもしれません。
余所行きの医療と普段着の医療、この両者は、どちらが、強い揺さぶりになるのでしょうか。
次回に続きます。


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Posted by 杉謙一 at 07:03│Comments(0)診療の徒然に
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