2008年04月09日

◆医療の現在

4月1日にオープンして、あっというまの嵐のような1週間。といっても患者さんは滅多にきてくれない。業者の人々の訪問。様々な不具合。必要書類がみあたらない。スタッフの動線の混乱など、神経は磨り減るが肝腎の診療はたまにある程度と、精神衛生上よくないころばかり。自分の身体内部を想像するにストレッサーに対して神経・内分泌・免疫系がフルに稼動してこれが続くと疲弊していく予感がして不安もよぎる。
まあこれが、リスクを負うということの意味なんだろうなとブツブツ。
ところで、たまにあき時間ができると、頭をよぎるのは“宣伝 広告”といった言葉です。宣伝、広告の一番直裁なイメージは、店の前でビラを配るといった光景です。そして、これは医療が厳に戒めてきたイメージでもあります。
「広告・宣伝して顧客を誘引することは、医師の品位を害するもの」されてきました。
“誘引”か・・。奥の深い言葉。
じっと待っている。患者さん訪れる。「どうされましたか?」と問う。確かにこれが医療の原型のような気が改めてしてきた。多分 こうした受動的アプローチから治療関係が始まるからなのだろう。とういか逆に治療関係を作る上で、医師の受動的アプローチは大切な要素の一つなのだろう。
医療というものが少し分かってきた気がする。こう思うと少し心も安らぎ、身体の内部環境も変化するようだ。
話は飛ぶが、今回の特定健診・保健指導(いわゆるメタボ健診)は、積極的アプローチの最たるものかもしれません。強引に臍周りを測定して、積極的に支援して、“食べる”というもっともプライベートな部分を“変容”させようというのだから。
これはいわゆる“ポピュレーションアプローチ”から出てきているアイデアなのですね。
医療の原点はインディビヂュアルアプローチ(一人に焦点を合わせたアプローチ)。
医療畑の人間が特定健診・保健指導に違和感を感じる理由の一つかもしれません。


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Posted by 杉謙一 at 07:31│Comments(0)時々刻々
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