医療の現在 食事療法 あれこれ 9

杉謙一

2009年11月28日 06:21

300年の鎖国が、続いた後、閉ざされた宇宙で、それなりの社会・文化・暮らし方が成熟した後、明治維新で、西欧を中心とした異質な世界と交流する過程で、様々な外傷的体験に遭遇した日本。 
食についても、西欧化のベクトルとそれへの反動のベクトルが、底流にあって、反動のひとつとしてマクロビオティックスがあったように思います。
病気の治療に食餌療法を利用するという考えは、どの医療体系にもあります。
医療体系という言葉を使いましたが、近代医学(現在 大部分の医療機関で、実践されている通常医療)とそれ以外の医療 すなわち 補完・代替・伝統医療の、両方を視野に医療体系という言葉を使っています。
考えてみると、江戸時代は、漢方が主流の医学・医療でした。
杉田玄白等が、オランダ語の「ターヘル・アナトミア」を日本語に翻訳し、「解体新書」として出版したのは、1774年でした。
明治維新の約100年前です。当時は、漢方が主流で、蘭方と呼ばれた西洋医学が傍流であったと思われます。
1868年に明治の時代が始るのですが、1885年に「医術開業試験規則」が断行され、西洋・近代医学を修めたものに、医師免許を与えることに変換されたのです。
社会の激変と呼応して医学・医療も激変したわけですが、従来の養生法も、伏流としては、密かに、伝えられても、公の医学・医療の場では、無視される傾向にありました。
その中で、医療の中での食事療法の位置はどうだったのでしょうか。

次回に続きます。

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